変わり身の早さ

2016.08.20
丹波春秋

 郷土史家の松井拳堂が、旧制小田原中学校に奉職していた若かりし頃、同僚の先生から排斥運動を受けたという。

 拳堂が金鵄勲章を身につけなかったかららしい。

 排斥運動の首謀者たちは、拳堂が赴任してくるまで式日には仰々しく勲章をつけていた。しかし、拳堂は遺族の心中を思い図って、金鵄勲章をつけずにいた。金鵄勲章とは、著しい武功のあった軍人に下賜された勲章。拳堂が金鵄勲章をつけずにいるので、同僚たちも勲章をつけづらく、反発を買ったことから排斥となった(滝川秀行氏著『拳堂という生き方』)。

 戦前はそれほどに威光のあった金鵄勲章だが、戦後、一変した。作家の加賀乙彦氏によると、闇市で、鍋代わりになる鉄かぶとなどと共に金鵄勲章が売られたらしい。子どもの玩具のように並び、もっとも安価だった。女性が買って、ネックレスのように首にかけたという。

 金鵄勲章に見られるように、日本社会は敗戦後まもなく価値観が大転換した。敗戦の年の8月30日には『日米会話手帳』が発行され、400万部も売れた。無節操とも言えるほど、あまりに変わり身が早い。この変わり身の早さを今も引き継いでいないか。

 戦争体験はもちろんだが、敗戦後の日本社会の動きも忘れずにいたい。その歴史から学ぶべき教訓もある。(Y)

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