毀誉褒貶

2018.07.08
丹波春秋未―コラム

 日本の善戦ぶりが目立った今回のワールドカップ。選手のプレーに釘付けになる一方で、サッカーコートを離れた動きにも興味を持った。日本チームに対する評価の浮き沈みの目まぐるしさだ。

 大会前は酷評もされた日本チームだが、コロンビア戦で金星を挙げ、セネガル戦ではドロー。手のひらを返したかのように喝采された。しかし、ポーランド戦の終盤でのパス回しに「情けない」「恥ずかしい」と非難の声が上がった。それも束の間、ベルギー戦での激闘に称賛の声がわき立った。

 ほめたかと思えば、けなす。けなしたかと思えば、ほめる。その毀誉褒貶(きよほうへん)に一休禅師の歌を思い出す。「今日ほめて明日悪くいう人の口泣くも笑うもウソの世の中」。

 毀誉褒貶に関する言葉は他にもある。たとえば夏目漱石。「人の毀誉にて変化するものは相場なり、直打(ねうち)にあらず」。毀誉はしょせん評判。評判の良し悪しは、そのものの真価と直結しない。

 西郷隆盛も「世上の毀誉、軽きこと塵に似たり」と言った。毀誉に振り回されることは愚かしいと考えたからこそ、「人を相手にせず天を相手にせよ」と喝破したのだろう。いかにチームが一つになり、真価を発揮するか。周囲の毀誉を相手にせず、勝利の神が鎮座する天を相手にしたからこその善戦ではなかったか。(Y)

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