夏が似合う

2018.07.22
丹波春秋未―コラム

 日本人は古く“春秋論争”にふけってきた。春と秋どちらが好きか、という論争だ。紀貫之なんぞは、春と秋のどちらがいいかを考えているうち思いが千々に乱れてしまったという意味の歌を詠んだ。現代からすれば何とも悠長な話だ。

 春秋論争では夏と冬が蚊帳の外に置かれているが、本来、そんなものらしい。文芸評論家の山本健吉は「行く春、行く秋とは言うが、行く夏、行く冬とは言わない。同じく、春を惜しむ、秋を惜しむとは言うが、夏を惜しむとは言わなかった」と書いている。

 この気持ち、よくわかる。体調が狂ってしまうほどに太陽が容赦なく照りつける夏は、去って行っても惜しむ気持ちにはさらさらなれない。残酷なまでの暑さが目立つ近年は、ことさらだ。

 そんなふうに毛嫌いされている夏に、市島町で全国高校女子硬式野球大会が開かれる。日焼けした女子球児たちが白球を追う。その姿は夏の光のようにまぶしい。

 寺山修司は、青年は肉体を持っていると言った。限りない欲望や夢、暴力や不安、自負心、さらには歌も持っている。際限のない生命力と、たぎる熱を持った若者には春や秋よりも灼熱の夏が似合う。とうの昔に若さが消えうせた身。元気をもらうため、27日から始まる大会を観戦しようと思う。熱中症に注意して。(Y)

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