なぜ? 大阪商人が仏像寄進の謎 山奥の寺との関係は

2018.08.06
ニュース丹波市

観音堂から見つかった位牌。「世話人嶋之内観音講中」の文字が見える=2018年7月26日午後1時41分、兵庫県丹波市氷上町三方、常照寺で

兵庫県内陸部の丹波市氷上町三方の常照寺(山口仙生住職)観音堂に納められている西国三十三か所にちなんだ33体の観音像のほとんどが、江戸時代中期に大阪の商人らによって寄進されたことが、位牌に残る記録から分かった。「大阪と丹波の山奥の寺と一体どんな関係があったのか」と、関係者は謎を解く鍵を探している。

傷みがひどくなった観音像の修復準備中に、33体の像に紛れていた位牌が見つかった。位牌には「安永四年(1775)九月吉日」とあり、「摂津大坂願主」として「丹波屋六兵衛」「笠屋吉兵衛」「橘屋甚兵衛」の3人の名前と、「世話人嶋之内地蔵講」と記されている。「嶋之内」は現在も「島之内」として大阪市中央区心斎橋筋付近に残る地名。江戸時代は、大阪の中心の問屋街で、繁華街だった。

連名帳には屋号や地名記載

位牌の中に納められていた「連名帳」

位牌に納められていた寄進者の連名帳には、「播磨屋」「紀伊國屋」「長崎屋」「井筒屋」といった商人の屋号、名前と共に「畳屋町」「木綿町」「炭屋街」「惣右ヱ門町」「南堀江」といった嶋之内と、その周辺のミナミの地名が多く記されている。寄進者の中には、「市川來蔵」と歌舞伎役者風の名前もある。

「中野村徳兵衛」「小谷村助右ヱ門」と、丹波市氷上町中野、小谷の人物と思しき地元寄進者の名前も3人ある。

寄進を受けた時期は、同寺五世の朝光院宗和尚の時代に該当する。五世は、同寺になで仏「びんづるさん」を設けた人物。

同寺は過去に火事で全焼しており、古い書物が残っておらず、十八世の山口住職(53)が、先月、観音堂の片づけ中に位牌を見つけた。「この辺りの出身者で大阪で成功した人物の縁で寄進されたのか、五世と大阪商人に何らかのパイプがあったのか、また別のつながりなのか、見当がつかない」と言い、像の修復と共に観音堂の建替え準備を進める同寺筆頭総代の二森英彦さん(75)は、「地元の寺の意外な歴史に触れた。寄進者の名前から何か分からないか、手がかりを探している。檀家にも興味を持ってもらえれば」と話している。

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