へその緒

2018.08.12
丹波春秋未―コラム

 芭蕉に「ふるさとや臍の緒に泣く年の暮」という句がある。44歳の時、帰郷した際の句という。年も押し迫った頃、古里に戻った芭蕉。古里を後にしても、へその緒でつながれているかのように切っても切れない古里との結びつきを思い、つい感傷的になったのだろうか。

 お盆を迎えた。年末年始と並んで、古里を離れた人たちが帰省してくるこの時期、篠山でデカンショ祭が催される。長く8月17、18日に開催されていたが、1999年から15、16日に繰り上げられた。祭を盛り上げるため、帰省にあわせて出身者が来やすい日程にした。

 兵庫県下最大の民謡の祭典と言われるデカンショ祭だが、向田邦子氏のエッセイに民謡への想いを書いたものがある。若い頃は民謡を嫌い、シャンソンやオペラこそ文化的と思っていた。しかし、40代になると、民謡を素直に受け入れ、愛せるようになったという。

 「私の血のなかに、私の先祖の、日本人のよろこびやかなしみが眠っていて、それが民謡を聞くと、眠りから覚めて、波立つのかもしれない」。民謡に、日本人としての“へその緒”を感じるということか。

 デカンショ祭には今年も、多くの篠山出身者が来ることだろう。会場いっぱいに流れるデカンショ節に、古里とのへその緒を見出す人もいるに違いない。(Y)

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