村人の思いに触れる


 黒井城跡登山道にたたずむ戦国武将・赤井(荻野)悪右衛門直正の招魂碑(漢文)に刻まれた「明智光秀」の名が削られている理由や、建立の経緯について迫った記事を3回に渡って連載した。

 碑の建立は今からほぼ200年前の文政2年(1819)。「幕末」といわれる動乱期よりも30数年前、日本が比較的穏やかだったとされる時代。当初は光秀の名が削られていることが「恨み」によるものではないかと目を付け調べ始めたものの、碑には建立の経緯なども彫られていたことから、建立にかかわった人々の思いに興味は移った。

 方々に聞いてみたものの、碑文を現代語訳したものは見つけられなかった。当時を直接知る人は、当然いない。詳しい人に碑文を読み解いてもらったり、史料をあたっていくことが200年前を生きた人々との“会話”になった。

 碑には、建立に尽力した村人の名も刻まれている。武家政権の時代、その歴史は武家の目線で語られることがほとんどだが、碑文を読むことで、直正に対する村人の思いや捉え方など、その一端に触れられたことに満足している。(田畑知也)