表札

2018.12.02
丹波春秋未―コラム

 夏目漱石の『吾輩は猫である』に、「丹波の国は笹山から昨夜着し立ててござる」というくだりがある。「篠山」ではなく「笹山」。

 篠山城は、笹山と言われた丘陵に築かれた。この丘は、かつての自然崇拝の思想から「神聖なる山」として信仰を集め、そのために「聖々(ささ)」が「笹山」に転じ、地名になったという説がある。

 江戸時代は、笹山だけでなく今の「篠山」や「筱山」も使われた。これらの中でもっとも多く使われたのは笹山らしいが、明治になって、新政府は「篠山に統一せよ」という命令をくだしたそう。しかし、漱石に見られるように明治の後半になっても篠山と笹山が混在した。

 合併を2年後に控えた年の暮れ、多紀郡4町合併協議会は、「丹波篠山」や「笹山」も候補に上がったなか、合併後の新町名を「篠山」と決めた。その後、篠山市となってスタートしたが、丹波篠山も愛称やブランドとして使われ、混在する形になった。

 石垣りんの詩に「自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る」とある。非公開だったため、議論の具体的な内容がわからなかった合併協議会と違い、住民投票によって「丹波篠山」という表札を自分たちの手でかけることになった。混在にけりがついた。次に問われるは、表札がかかった家の中の拡充だ。(Y)

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