ふすまはがすと古文書続々 「鉄砲持ってません」報告史料も 足利将軍建立の古刹で

2019.01.31
ニュース丹波市歴史

廣見寺から円通寺に提出された鉄砲改めの報告文書

兵庫県丹波市の「氷上郷土史研究会」(足立義昭会長)の古文書部会が、同市氷上町御油の円通寺で進めている襖(ふすま)と屏風の下張り文書はがし作業の解読成果報告会が1月19日、同市の氷上住民センターで開かれた。江戸時代に末寺から提出された人数改めや鉄砲改めの文書が襖から見つかり、出席者の注目を集めた。作業に加わり、報告資料を作成した地域史研究家の山内順子さんは「作業を通じ、300年くらい経つ文書が現れた時には驚いた。和紙も上質で、断熱材として利用できたのでは。長い時を経て研究対象になるとは当時からは想像もつかなかったと思う」と話す。

 

足利義満建立の曹洞宗古刹

同寺は、南北朝時代の永徳2年(1382)に将軍・足利義満が後円融天皇の勅命を受けて建立した曹洞宗の古刹で、室町時代から江戸末期まで約200の末寺と一千石を越える寺領を有した。

人数改めは、瑞光寺(同市柏原町)、普蔵寺(同市春日町)や新宮寺(同県豊岡市)、慶徳寺(小野市)、見性寺(同市出石町)など広範囲に及び、文書が見つかっているだけでも丹波市内や但馬、播磨など50カ所以上にのぼり、領主(支配者)の名前も確認された。円通寺に対し、「お寺に何人いるか」という報告をしたことを示す貴重な内容。宝暦12年(1762)の末寺人別改めのうち、瑞光寺が僧侶、下男の人数を柏原藩に提出したことを円通寺に報告した文書などを通じ、当時の氷上郡(現・丹波市)内の末寺の名前も判明した。

 

襖や屏風の下張り文書はがし作業をする古文書部会のメンバー=兵庫県丹波市氷上町御油で

襖は「タイムカプセル」、歴史読み解く史料眠る

元禄2年(1689)の鉄砲改めに際し、鉄砲の有無や数について廣見寺(丹波市春日町)からの報告文書には、「前々からお寺に鉄砲はありません」と書き込まれている。文書には、同寺と名主、5人組頭も署名・捺印し、永澤寺(同県三田市)と、廣見寺があった平松村を治めていた亀山藩領主の久世出雲守重之にも提出している。

円通寺と永澤寺は、曹洞宗の大本山(永平寺=福井県、總持寺=横浜市)と、末寺との情報の中継ぎ的な役割を担っていたと見られる。このほか、襖には経典の書かれた本、江戸時代のお寺の会計帳簿、屏風には著名な文人の書画、古い新聞、官報などもあった。

研究会では7年前から5層から7層に及ぶ廃棄された襖や、屏風を丹念に調べあげている。日光に当たらず、保存状態も良く、はっきり内容が読み取れる文書も多かった。作業を指導した松下正和神戸大学地域連携室特命准教授は「襖や屏風の中には地域の歴史を読み解く史料が眠る。いわばタイムカプセル」と話している。

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