イノシシ肉使う「ぼたん鍋」 由来は「唐獅子牡丹」? 兵隊さんの食事が起源


写真・美しく飾られたぼたん鍋のイノシシ肉=兵庫県篠山市呉服町で

 お節料理の定番「黒大豆」と双璧をなすといっても過言ではない兵庫県篠山市の冬の味覚「ぼたん鍋」。言わずと知れた今年の干支「イノシシ」の肉を野菜や豆腐などとともに味噌ベースの出汁で食べる郷土の逸品だ。他地域では「シシ鍋」とも呼ばれる場合もあるが、篠山では、なかなか雅な名前がついている。その名の由来に始まり、一つの鍋を巡る歴史を追うと、深い深いエピソードが浮かび上がってきた。

 

◇「ぼたん鍋」名前の由来は

 記者が思っていたのは、「大皿に盛られた肉がボタンの花のようだから」。ほかにも「煮込むと脂身が縮れてボタンの花のようになるから」という説がある。

 しかし、天然猪肉の専門店「おゝみや」(同市乾新町)の大見春樹社長によると、そのいずれでもない説があるそう。

 昭和の初め頃、現在の篠山市商工会の前身「篠山実業協会」が、新たな民謡として、「篠山小唄」を作ることになり、歌詞を公募した。当時、篠山で発行していた篠山新聞の編集者の歌詞が採用され、その中に「ぼたん鍋」という言葉が登場する。

 そのころは「いの鍋」と呼ばれていたが、七五調の歌詞には語呂が悪く、悩んだ末に、縁起の良い柄「唐獅子牡丹」の「しし」と「ぼたん」の語呂合わせで、「ぼたん鍋」に決めたという。その後、老舗旅館が「いの鍋」を「ぼたん鍋」として提供し始め、広く知られるようになったらしい。見た目だけでなく、文化的な香りが漂っている名前だ。

 亥年に創業70周年を迎える大見社長は、「他地域でも『ぼたん鍋』という言葉が使われつつあるが、本家は篠山。さらにぼたん鍋がメジャーになるように取り組んでいきたい」と意気込む。

 

◇歩兵70連隊の訓練が始まり

 篠山市のホームページにある「ぼたん鍋ガイド」の執筆者で、市情報統括・防災政策官の植村富明さんによると、馬や牛がいなかった縄文、弥生時代には、イノシシは貴重な食料で、後の古事記や日本書紀にも記述が見られるという。

 その後、日本に仏教が伝来し、肉食が禁じられたものの、実際にはかなり市中で獣肉が出回っており、中でもイノシシの肉は、「山鯨」と称して食べ続けられた。

 明治時代に入って肉食禁止が解かれた後の1900年代初頭、篠山に陸軍歩兵部隊「第70連隊」が駐屯。銃の訓練で捕獲したイノシシの肉をみそ汁に入れて食べるようになった。これがぼたん鍋の起源と言われている。

 

◇篠山のイノシシ「美食家だからうまい」

 篠山と静岡の天城山、岐阜県の郡上がイノシシの日本の三大名産地と言われている。イノシシは日本全国ほとんどの山に生息しているにもかかわらず、なぜ篠山が入っているのか。

 植村さんは、その一つの原因として、70連隊によるぼたん鍋誕生エピソードがあるのではないかと推測する。全国から集まった軍人たちが「丹波のイノシシはうまい」とふれて回ることで、口コミ的に全国に広まったんではないかと。

 また、イノシシが育つ環境も重要。篠山の地形は良質のイノシシが育つ場として適しているそう。また、豊富な木の実だけでなく、栗、松茸、黒大豆など、人間もこぞって求めるおいしい食べ物を食べるからこそ、イノシシの肉もおいしくなるという。「当代随一の美食家であり、うまくないはずがないのです」と植村さん。

 

◇阿波踊りに篠山? 司馬遼太郎さんも記述

 全国的に知られる徳島県の阿波踊りの歌詞の中に、驚きの一節。

 「ささやまとおれば笹ばかり。イノシシ豆喰てホイホイ」

 ささやまは単純に笹が繁茂した山や、徳島市の佐古山から来ているのではという説もあるが、イノシシと豆まで組み合わさると、篠山のことではないかと思ってしまう。

 実は篠山と徳島はつながりがある。

 昔、徳島を治めたのは、豊臣秀吉の家臣だった武将・蜂須賀小六で知られる蜂須賀氏。篠山藩の家老も蜂須賀氏が務めていた。

 阿波踊りの起源は蜂須賀氏が徳島を治めていた天正14年(1586)にさかのぼるという説もあり、「親戚がいる篠山を思って唄ったのでは」という俗説もある。

 作家の司馬遼太郎さんが、「街道をゆく」の中で、また、同じく作家の水上勉さんも、「日本底辺紀行」の中で、この歌詞にふれ、篠山と徳島のつながりを記している。

 おいしさと不思議さを兼ね備えたぼたん鍋。そんなことを思いながら家族で、あるいは宴会で味わってみてはいかが?