元日の夕日

2019.01.06
丹波春秋未―コラム

 詩人の吉野弘に「元日の夕日に」という詩がある。「元日の朝日には『初日』の名があるのに 同じ日の夕日には親しい呼び名がありません」。元日の朝日はありがたく、初日として尊ばれる。にもかかわらず、同じ日の夕日は一顧だにされないと吉野はいう。

 初日を拝む。民俗学によると、この行為は明治以降のものらしい。昇る太陽は、めでたいことの起こる兆しと捉えられ、日本自体が旭日昇天の勢いがある国家だと自負され、初日を拝むことは国家の繁栄を祈願する厳粛な行事に高められた。

 元日の夕日は、かくもあがめられた初日の陰に回った。初日が隆盛のシンボルであればあるほど、その日の夕日は「落日」の陰りを帯びる。落日は没落を連想させるから、人は元日の夕日に関心を示さなかったのか。

 「元日の夕日に」は、「一九九一年十二月三十一日の夕日が 一九九二年一月一日の朝日になって」で始まる。奇しくも91年はバブル崩壊の年。有頂天になっていた日本が一気に転落し、落日の悲哀に向き合わざるを得なくなった年だった。

 日本はもはや、昇る太陽のような右肩上がりの時代を迎えることはあるまい。いかに酸いも甘いもかみ分けた味わいをかもすか、渋みを出すか。日本の今後を指し示す意味でも、元日の夕日の呼び名が必要になっている。(Y)

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