”絶大”なご利益?小さな村で伝統の「子授け法要」 産科医の元にも霊験 不妊治療の人がすぐ懐妊も

2019.02.25
ニュース丹波篠山市歴史

子授けの法要でお堂を埋めた人々=2019年2月11日午前10時5分、兵庫県篠山市大熊で

兵庫県篠山市大熊にある小さなお堂「瑠璃寺・薬師堂」。わずか18戸の集落が管理するこのお堂で毎年2月11日、聖徳太子作と伝わる本尊の薬師如来に子授けを祈願する法要が営まれている。大きな看板や露店が並ぶわけでもなく、静かな村でひっそりと営まれる法要だが、そのご利益(りやく)は「絶大」とされ、不妊治療に励んだもののなかなか効果が出ずにあきらめかけた人が、すぐに子を授かったといったエピソードは枚挙にいとまがない。その霊験はなんと産科医の元にも訪れたことから口コミで遠方にまで知れ渡っている。科学的根拠は一切ないが、今年も多くの人が祈りに訪れた。

 

源義経も戦勝祈願の寺

法要で用意される「もっそ」

今年もぼたん雪が舞い散る中を多くの人が参拝し、願いが成就した人が赤ちゃんを抱いてお礼に訪れる姿も見られた。

「昔、不妊治療をしていたけれど、やめてしまった。でも、昨年、初めて法要に参加した後、すぐに赤ちゃんを授かりました。ここに来た以外、変わったことはなかったので、本当にびっくりです」―。生まれて2カ月の赤ちゃんを愛おしそうに見つめながら母親(37)が言う。

法要に参加した市内の夫(44)と妻(36)も、過去に不妊治療をした経験がある。一昨年、昨年と懐妊祈願に訪れ、今年、妻の腕の中には4カ月になる赤ちゃんがいた。

瑠璃寺は、平安時代初期、天台宗の開祖、最澄に師事した円仁が病気療養中に、「まことの心があるならば、大熊村に至りて薬師如来を迎え奉るべし」という夢を見たことから、この村を探し当てて寺を建立したと伝わる。

寺はかつて、背後にそびえる笛吹山にあったとされ、かの源義経も平家追討のために一ノ谷(現・神戸市)へ向かう際に立ち寄り、戦勝を祈願したとも言われる。

円仁の病気平癒や義経の戦勝祈願などから「霊験著しい」と参拝者が後を絶たなかったという。

明治初期、火災に遭い、寺は焼失したものの、お堂は残ったため、今の場所に移築してまつっている。

 

15年子宝恵まれずも「本当にすごい」

住職とともに真言を唱える参加者

子授け祈願がいつから始まったかは定かではないが、住民によって脈々と受け継がれてきた。

法要には「もっそ」と呼ばれる供物が用意される。木桶の中に、乳房を模したドーム状の蒸し米や、女性器を象徴するわらで編んだ輪が配され、その輪の中には男性器の象徴として徳利(とっくり)が置かれる。ほかに豆腐の串刺しや大根や白豆なども置かれる。

今年は40組80人が参加。雪の舞う中、懐妊や安産祈願、願いが叶った「願済(がんさい)」にと、地元のみならず、県内他地域をはじめ、遠くは名古屋市や三重県鈴鹿市などから参加があり、小さなお堂は人でいっぱいになり、外のテントをも埋めた。

近くの小林寺(沢田)の飯田天祥住職が般若心経などを読経。その後、「おんころころ せんだり まとうぎそわか」と、薬師如来の真言を全員で唱え、お札などを持ち帰った。

口コミで存在を知り、兵庫県神崎郡市川町から訪れた女性(68)は、昨年、東京で暮らす息子夫婦のためにと祈願に訪れ、今年は初孫の誕生を報告にやってきた。息子夫婦は結婚後、15年間、子宝に恵まれなかったと言い、「ここは本当にすごい」と目を丸くする。

大熊自治会の西羅彰夫自治会長(63)によると、以前から知る人ぞ知る子授け祈願として各地から多くの人が訪れているという。

さらに、ある産婦科医がなかなか子に恵まれず、祈願に訪れたところ、直後に子を授かったことがあって以来、患者らが「神頼み」にと訪れるようになり、都市部からバスで訪れたこともあった。

「昔から不思議とこの村ではどの家も子どもがたくさんいた。科学的な根拠は何もないが、お薬師さんのおかげと思っています」と2日前に孫が生まれた西羅会長。「毎年、願済で赤ちゃんを連れた人が来てくださるのが私たちもうれしい」と目を細めていた。

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