バングラに学校建設30年、卒業生は数千人に 自宅売って費用工面も 夫婦の原動力は「笑顔」

2019.02.12
ニュース丹波篠山市地域

バングラデシュへの教育支援活動を続ける岩下夫妻。写真は同国の雑貨などを販売する拠点施設「だいじょうぶ屋」で=2019年1月24日午前11時41分、兵庫県篠山市二階町で

アジア最貧国とも言われる国・バングラデシュ。そこで暮らす子どもたちの支援にと、30年以上にわたって、自費や寄付を募って学校を建て続けている日本人の夫婦がいる。これまでに同国内で10校以上を建設しており、卒業生は数千人に上る。初めて建てた学校は、日本の自宅を売ったお金で費用を工面したという破天荒なエピソードも。国を超え、子どもたちを支え続ける思いの源泉は何なのか。笑顔がよく似合う夫婦を取材した。

 

「子どもたちの笑顔が見たいから」

人でごった返すバングラデシュの首都ダッカ

1971年にパキスタンから独立したバングラデシュは、北海道ほどの面積に約1億5900万人が暮らし、面積が小さい国を除くと、世界で最も人口密度が高い。

国民1人あたりのGDPは世界平均の1割に届かない貧困国。近年、豊富な労働力とコストの低さから、外国企業の参入が増えている。

「なぜ、支援を続けているかと言われたら、子どもたちの笑顔が見たいからやなぁ」

そう語るのは、兵庫県の内陸部、篠山市で暮らす岩下八司さん(69)と妻の啓子さん(69)。協力者と共に、バングラの子どもたちへの教育支援を行うNPO法人「P・U・S」を立ち上げ、学校建設や文房具支援をはじめ、子どもたちの通学費用の面倒を見る「里親」を日本で募るなどの活動に取り組んでいる。

 

学校制度あっても経済力なく

1985年、当時、大阪府の会社で働いていた八司さんは、日本に出稼ぎに来ていた一人のバングラデシュ人と出会う。

「私たちの国にはたくさんの恵まれない子どもたちがいる。一度、見に来てほしい」―。そう言われた八司さんは初めてバングラへ飛んだ。

首都のダッカは人であふれかえっていた。ひしめくように車が走っているかと思えば、路上で寝ている人、物乞い、朝から働く子どもたち―。圧倒された。

そして、知人の地元の地方都市に出向くと、そこには学校がなかった。

バングラデシュで建設中の学校。今年中に完成する

国としての学校制度はある。しかし、教育を全土に浸透させられるほどの経済力がない。学校があったとしても、修復費用がなく、屋根が落ちたままの校舎で勉強している子どもたちもいた。地方に行けば行くほど、教育機会の不均等は鮮明だった。

現状を目の当たりにした八司さんは、いてもたってもいられず、現地の人々と学校建設に向けて動き出した。八司さんの亡き母は、ネパールへの支援活動を行っていた。大人になるまで母の活動に興味を持たなかったが、知らず知らず、思いは受け継がれていた。

 

企業支援受け、学校建設軌道に

岩下さんらが建設した学校で学ぶ子どもたち

始まった学校建設への取り組み。土地は提供者が現れ、教師もなんとか探し出せた。あとは学校建設の費用。当時、学校を建てようと思えば、日本円にして約350万円が必要だった。

帰国した八司さんは、思い切った行動に出る。自宅を売りに出したのだ。「あのころは若かったんやろな」と笑う。

運よく、残っていたローンを返済しても若干、プラスになり、建設費用を工面できた。完成した学校は後に政府公認校となり、現在、教師の給料などは国が負担している。

学校と引き換えに自分の家がなくなった八司さんだったが、社宅付きの職場に転職。以降、幾度もバングラを訪問し、文房具を届けたり、里親制度を広めてきた。

その後、ボランティア支援に積極的な企業とつながりができたことから、活動が波に乗った。学校建設費用も企業からの支援金で賄えるようになり、2019年中に完成するものも含めて、これまでに計17校を建設した。

 

学校が愛人の家、銃突きつけられたことも

文化の違う国の人々と、一つの事業に取り組むことは、良いことばかりではない。

預けていたお金を盗まれたり、勝手に土地を売られたり。銃を突き付けられ、村から追い出されたこともあった。そんな八司さん最大の幸運は、活動に理解があるどころか、共に支援に取り組む伴侶の存在だ。

「一度、建設した学校が、手伝ってくれた現地の人の愛人の家になっていたことがあった。その時は怒るのを通り越して笑ってしまいました」(啓子さん)

そんな2人が口を合わせる活動の原動力、「笑顔」。それを物語るエピソードがある。最初の学校を建設した数年後、街を歩いている夫婦に声がかかった。

「イワシタ!」

見ると、子どもを抱いた見知らぬ若い母親。聞けば建設した学校の卒業生で、学校に通えたことを感謝されたという。

夫婦は、「あれはうれしかった。いろんな辛いことがあっても、ああいうことが一つでもあれば、一瞬で幸せな気分になれる」と笑顔を浮かべる。

ほかの現地の人々も夫婦の活動に対して感謝の思いを抱いている。ある村の村長は言う。

「学校ができ、子どもたちに教育を与えることができるようになった。教育を受けるということは、将来の夢が広がるということ。私たち大人にはタバコか茶葉の収穫しかないが、子どもたちは医者にだってエンジニアにだって、何だってなれる。そして、この村もこの国も良くなっていくと思う」

 

「ボランティア」の言葉好かん

「たくさんの人が協力してくれるからできること。ありがたいこっちゃわ。自分の力だけやと思って有頂天になるのは大間違いや」と破顔する八司さん。実は、「ボランティア」という言葉が好きではないという。

「あの言葉は好かん。ボランティアと言ったら、どんなことをしていても良いイメージがついてしまう。ボランティアの中にもいろんな人がおるからなぁ」

では、2人の活動は?―との問いに、あっけらかんと答えた。

「困った人がおったら、自分ができる範囲で手を差し伸べる。それは人間として普通のことちゃうかな。堅苦しいものではない。ただ、活動をすることでバングラの子どもたちから生きがいを与えてもらっている。支援も含めて自然体。それがわしのライフ」

八司さんは、東日本大震災や熊本地震をはじめ、災害が起こればすぐに飛び、被災者支援に汗を流す。もうすぐ古希とは思えない元気な2人の活動はこれからも続く。笑顔のために。

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