恩送り

2019.02.03
丹波春秋

 前号の篠山市版の記事に「恩送り」という言葉があった。多紀小学校の校長先生が、児童に向けてあいさつした中でこの言葉を使っていたのだ。恩送りとは、誰かから受けた恩を別の人に返すこと。

 細菌学者の北里柴三郎も、恩送りを実行した人だった。赤痢菌の発見で知られる志賀潔だが、実はこの発見は北里との共同研究だった。しかも志賀は研究助手の立場。「発見の手柄を若僧の助手一人にゆずって恬然としておられた先生を、私はまことに有り難きものと思う」と、のちに志賀は書いた。

 手柄を弟子に譲り、平然としていた北里。それは恩送りでもあったようだ。北里は過去に福沢諭吉から並々ならぬ支援を受けていたのだ。伝染病の研究所を日本につくりたいと願った北里に、福沢は私財を投じて研究所を設立。さらに伝染病の感染を恐れた地域住民から反対の声があがると、福沢は研究所の隣に息子の家を新築、おかげで反対運動は鎮まった。

 福沢から受けた恩を北里は一生忘れなかったという。だからこその恩送りだった。

 明治時代に渡米し、のちに化学の父と言われた高峰譲吉の研究を支えた丹波杜氏、藤木幸助の渡米記念碑が郷里の篠山市北嶋に建立された時、北里が除幕式に参列したという。 その碑は、 奇しくも多紀小学校からさほど遠くない。(Y)

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