被災地との交流


 三陸新報の「命の大切さと防災・減災を学ぼう」という社説に、4階まで津波をかぶった宮城県立気仙沼向洋高校の校舎が大震災の伝承館として保存され、10日にオープンすることが紹介されていた。

 その校舎には震災直後、同社の渡邉眞紀専務に案内されて行ったことがあり、教室に流れ込んだ車や樹木、土台だけ残った体育館などの惨状に唖然とした。伝承館にはそれらがそのまま残され、津波の様子を伝える映像や市内全域の被災状況の写真を展示。語り部グループも出来たという。

 かつて福島に3年勤務した筆者は、小紙の読者参加ツアーなどで毎年東北を訪れている。気仙沼や北隣の岩手県陸前高田などは、道路や土地、建物、店舗などの建設が行くたびに進んでいるのがよく見える。

 とは言っても、流出した人口がどこまで戻って来るかは不明だし、まして帰るに帰れない福島の原発周辺は、何の見通しも立っていない。桜の咲き乱れる通りの道端で、卵の自動販売機のケースの中で黄味が青くひからびていた光景が今も目に焼き付いている。

 丹波地域と被災地との交流はこの8年で随分深まったし、筆者自身もかつての知人らと旧交が復活し、三陸新報社など新たに親交を結べた所も少なくない。震災が契機となったこの絆を、これからも大事にしたい。(E)