春愁

2019.03.31
丹波春秋未―コラム

 明日から4月。古里を離れる子もいよう。新天地に進む人もいよう。かと思えば、一線を離れる人もいよう。ひとつの区切りを迎える春だ。

 4月5日頃を「清明」という。万物が清く陽気になる季節になった。生命が躍動し始めると、人の心も連動して浮き立つ。ウキウキしてくる。しかし、人の心というのは微妙なもので、極端に偏するとその反動がやってくる時がある。

 「春愁」という言葉がある。春の日に何となくもの悲しい気持ちになることをいう。浮き立つあまりに足元がおぼつかなくなり、不安定になるためか。清新に満ちた周囲の気配に反して、ひとり取り残される孤独感に襲われるためか。いずれにしろ「春というやつは、一つ間違うととめどなく寂しくなる」(久保田万太郎)。

 春は始まりの季節である。何か新しいものが始まる。それは同時に何かが終わることでもある。新しくやってくるものがあるということは、過ぎ去っていくものがあるということ。始まりと終わりは、コインの裏表だ。過ぎ去っていくものを後ろに残して、新しいことが始まる。

 元号が変わる。変わったからと言って、目に見えた変化はなかろうが、一つの時代の始まりであり、一つの時代の終わりである。新時代の到来に浮き立つか。それとも時代の終わりに春愁を感じるか。(Y)

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