平成天皇

2019.04.25
丹波春秋未―コラム

 平成の30年間をあらためて振り返ると、元年(1989年)に「ベルリンの壁」が崩壊。2年後にソ連がなくなり、東西の冷戦が終わった。

 いよいよ世界が同じ方向を目指して平和になるかと思ったのとは逆に、旧ユーゴ連邦がバラバラになって隣人同士が殺し合いを始めたほか、アフガニスタン、イラクなどあちこちで戦争が勃発。今なお中東などで抗争が続き、日本も直接戦闘に巻き込まれることはなかったものの、核兵器をもてあそぶ隣国の脅威にさらされている。

 こうした混沌の収まらぬ世にあって、平成の天皇が再三、沖縄や海外に赴いて、日本が起こした過去の戦争の犠牲者に対し、追悼と慰霊の旅を繰り返されたことが、強く印象に残る。加えて、国内では相次いで大災害に襲われたが、天皇は常に被災地を訪れ、傷ついた人達に寄り添われた。

 「象徴天皇のあり方を日々模索する」中で、異例の生前譲位を決意されたのは、平和の希求という務めを自らに課し、新天皇にも引き継いでおきたいと思われたためではあるまいか。

 もとより政治的な言動を制約されている天皇が多くを語られることはない。ただ、80年前の戦争に心の痛みとして触れられる時、「あの戦争の残した教訓を汲み取る力が我々に試されている」(「平成史」)と、保阪正康氏は述べる。(E)

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