春の朝

2019.05.05
丹波春秋未―コラム

 ある会議に出席していて、「明日」をどう読むかが話題になった。「あす」か「あした」か。どちらも正しいが、もとを正すと「明日」は「あす」と読んだようだ。「あした」は別の意味の言葉で、「朝」を意味していた。

 たとえば、「あした浜辺をさまよえば」で始まる「浜辺の歌」。この「あした」を、今日の次の日と解すると意味不明になるが、朝ならばすっきりする。孔子の言葉「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」の「あした」も当然、朝と書く。

 さらに言えば、上田敏の名訳とされる詩「春の朝」。「時は春、日は朝、朝は七時」で始まるこの詩の「朝」も「あした」と読む。イギリスの詩人が作った、この原詩は春の朝の平和な田園風景をうたった叙景詩だそうで、上田の訳詩は「すべて世は事も無し」で締めくくられている。穏やかでのどかな春の朝だ。

 額面上は10連休となった大型連休。仕事の性質上、忙しく過ごされた方もおられようが、多くは「すべて世は事も無し」の心境で過ごされたのでは。

 連休も残りわずかとなった。ネジを巻き直されなければと思うが、ついつい気がゆるむ。「こころよく春のねむりをむさぼれる 目にやはらかき庭の草かな」(石川啄木)。春の朝。孔子のように悟りを開かなくていいから、春の眠りをむさぼりたい。(Y)

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