働く意味

2019.06.02
丹波春秋未―コラム

 10年ほど経つ今も忘れられないドキュメンタリー番組のシーンがある。暮色に包まれた都会の団地の一室。50歳代の中年男性が一人で暮らしていた。会社から解雇され、仕事を失った。妻子もいない。薄暗い部屋でインタビューに応じていた。

 勤めていた会社の仲間たちとのつながりは、解雇と同時に絶たれた。独り身なので家族とのつながりはない。地域との交わりもなかった。まさに一人ぼっち。男性がぽつりとつぶやいた。「人とのつながりを失ってしまうと、自分という存在も失ってしまうんですね」。

 男性にとって、会社で働くことが自分という存在を保障する唯一のものだった。「働く」とは何なのかと思う。

 働くことは苦役に違いない。激務に身を削り、心をさいなむこともある。反面、「ありがとう」「ご苦労様」などと、働いた対価としてお客や家族、仲間などから感謝され、ねぎらわれた時には充足感や満足感を覚える。働くことには苦役の面があるからこそ、その感慨は強い。そして自分が人とつながり、そのつながりの中に自分がいることを実感する。「自分はここにいる」「ここにいていい」。働くことは、そんな存在証明を与えてくれる。

 明日から中学生の「トライやる」が始まる。わずか5日だが、働く意味の一端にふれられる貴重な5日間だ。(Y)

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