千年の歴史もつ「丹波栗」

2019.06.20
記者ノート

 今、あちこちで花が満開になっている「クリ」。「丹波こども新聞」6月号で、平安時代の丹波について調べていて初めて知ったことがある。

 故・細見末雄さんが1988年に出された著書「丹波史を探る」によると、クリの産地として初めて丹波の名が確実に現れるのは、平安時代の「延喜式」という書物。丹波は「平栗・搗栗・甘栗」のいずれも朝廷に納めており、おそらく当時全国最大の産地だったという。(「丹波」は兵庫県2郡と、京都府4郡)。

 氷上郡でみると、平安時代に書かれた「和名類聚抄」高山寺本に、「栗作」という郷名が出てくる。郷は、現在でいえば校区ぐらいの範囲のようで、氷上郡には16あった。「栗作郷」はおそらく山南町上久下、久下地区にあたり、「甘栗御園」があったらしい。

 また、山南町和田の西部(小野尻、牧山)と、氷上町の西部(葛野)には、天皇にクリを納めるなどしていた「栗供御人」がいたとか。

 皮むきに手間はかかるけど、おいしいクリ。1000年以上前の書物に登場する「丹波栗」の由緒に改めて驚いた。(古西 純)

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