寛容の精神

2019.06.09
丹波春秋未―コラム

 本紙丹波市版の前号に、認知症の人たちが店員を務める喫茶店の記事が出ていた。店名は「注文を間違える喫茶店『だんない』」だという。注文などでミスがあっても、「だんない」という大らかな気持ちで受け止めてもらえる店をめざしており、「気にしない」という意味の「だんない」を店名にしたそうだ。

 「だんない」と受け止める態度。そこには、今を生きる私たちが見失いがちな寛容の精神がある。現代社会には、寛容とは正反対の不寛容の精神が蔓延しているように思えてならない。

 ベビーカーを押して電車に乗る人に対して舌打ちする人がいる。「お客様は神様」とばかりに、店員に毒づく人がいる。自分が不快な思いをしていることを主張してはばからない。

 人はもともと自分勝手なエゴイストなのだろう。エゴイストであるほど、不利益や不快を見いだしやすく、敏感に反応する。しかし、自分の中に巣くうエゴイズムを省み、統御できるのも人だろう。そんな人になることを「大人になる」といい、大人の分別として身につける一つが寛容の精神だろう。

 「論語」の孔子は、「生きていく上で一番大切なことをひと言で言うと、それは何か」との問いに、「それ恕(じょ)か」と答えた。「恕」とは、思いやりのこと。「だんない」も思いやりの発露である。(Y)

関連記事