父の日

2019.06.16
丹波春秋未―コラム

 大正13年、東京・池袋に「児童の村小学校」が開校した。子どもの個性や自発活動の尊重などを教育理念にした小学校で、教育科目や時間割に拘束されず、クラスを設けず、教室も存在しなかった。すべてが子ども本位だった。それまでの教育の解体をめざしたと言える学校を創立した同志の一人が、今田町生まれの下中弥三郎。

 百科事典で知られる出版社「平凡社」を創設し、戦後は湯川秀樹らと共に「世界平和アピール七人委員会」を結成した下中だが、もともとは教育者だった。21歳で市島町の三輪小学校の校長代理となり、のちに埼玉師範で教べんを執った。出版の事業も、下中にとっては教育事業だった。

 下中の父親は、丹波焼の里の立杭で窯業や農業を営みながら、自宅で寺子屋を開いていた。読み書きなどを教えていたのだが、父親はめったに子どもの傍におらず、教えるのは上級生。下中に言わせると、「人を見て法を説く的な自由な教え方。個別任意の教授」だった。

 2歳の時に父親が死去したため、下中には父親の記憶はないのだが、下中が46歳で創立した「児童の村小学校」のバックボーンには、父親が実践していた「個別任意の教授」があった。

 父親の実践を大きく花咲かせた。そこには父親に対する敬愛があっただろう。きょうは「父の日」。(Y)

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