450年経て再び「連携」 武将・明智光秀ゆかりの地 「丹波攻め」で密約、今度は地域PR

2019.07.11
ニュース丹波市明智光秀と丹波地域観光

今なお石垣が残る黒井城跡

戦国武将・明智光秀を主人公とするNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映を来年に控え、光秀にゆかりがある兵庫県の丹波市と丹波篠山市の住民グループが、連携しながら両地域をPRしようと力を注いでいる。両市は、かつて「丹波国」の一部で、光秀が最も苦戦したとされる同国平定戦「丹波攻め」が繰り広げられた地域。両市の武将が手を組んで光秀軍を退却に追い込んだ歴史があり、かねてよりの「密約」が勝因になったともいわれている。戦いから450年近くの時を経て、両市が再び密約ならぬ「連携」を図る―。

 

赤井直正と波多野秀治が光秀「ほんろう」

八上城主・波多野秀治をたたえる碑がある城跡

天正3年、織田信長の命を受けた光秀が、丹波国に覇を唱えていた現・丹波市の黒井城主・赤井(荻野)悪右衛門直正と激戦を繰り広げた。直正が光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」を展開し、光秀は敗走。この作戦は、現・丹波篠山市の八上城主・波多野秀治が赤井方に寝返ったことに起因するともいわれ、直正と秀治との間にかねてからの密約があった可能性もあるという。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

 

「光秀の重臣・斎藤利三にも注目を」

明智光秀ゆかりの地として、活発な意見交換をする黒井と八上の委員会=2019年7月1日午後7時37分、兵庫県丹波市春日町黒井で

大河放映を前に、黒井城跡のおひざ元、丹波市春日町の黒井城跡地域活性化委員会(吉住孝信委員長)と、八上城跡がある丹波篠山市の「八上城麒麟がくる委員会」(小野健二委員長)がこのほど、しろやま交流館(丹波市春日町)で交流した。これまで、それぞれの団体で光秀ゆかりの地をPRしていたが、ともに連携することで相乗効果を高めようと初めて合同で会合を開いた。

両城跡は戦国の山城として、ともに国指定史跡。四百数十年前の遺構が残るという共通点があり、連携を深め、長期的視野で互いに成長していくことをねらい、活発に意見交換した。

八上側からの「黒井城跡は高速道から良く見える」との発言に、「丹波市や市教委に相談しながら、雑木を伐採するなどして山頂の石垣がよく見えるようになった」と答えた。「八上城跡に登る人のための駐車場を整備して観光客を受け入れたい」(八上)、「月1回、黒井城跡周辺のごみ拾いをしている」(黒井)などの取り組みも報告された。

八上側から「『麒麟がくる』は光秀が主役。黒井城の下館(現興禅寺)に住んだ光秀の重臣、斎藤利三は春日局の父で、全国レベル。もっと注目すれば」という声も出た。地元の子どもたちを中心とした「子どもガイド」の育成も話題になった。

吉住委員長は「黒井城跡に登る観光客が増えたのは、『続日本100名城』に選定された影響がある。福知山城(京都府福知山市)と黒井城跡がセットになるツアーが多かったが、最近は八上城跡に登るという人も増えてきた」と話す。9月23日には両委員会が八上城跡に登り、交流する。

小野委員長は「各委員が得意の分野を生かしていることが参考になった。校区あげての取り組みになるよう呼びかけたい」と話していた。

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