【高校野球】実は「ボケ担当です」 明石商エース中森君の素顔 幼少期からピアノ、生徒会長も


準決勝の舞台で全力投球する明石商業の中森君=兵庫県西宮市の甲子園球場で

 甲子園で自己最速151キロをマークするなど、多くの注目を集めた明石商業(兵庫)の2年生エース・中森俊介投手。20日の準決勝で敗れ、惜しくも決勝進出は逃したものの、春夏連続となるベスト4入りの原動力となった。右腕は兵庫県の内陸部、丹波篠山市の出身。マウンド上で見せる「ポーカーフェイス」の裏側にある素顔はどんなものか。友人や恩師らに話を聞いた。

 

◆小6まで習ったピアノ

 

 剛速球に加え、カーブ、スライダーなど多彩な変化球を繰り出す指先は、ピアノで鍛えられた!?―。

 中森君は幼稚園から小学6年生まで、自宅のすぐ隣に住む中森千鶴さん(65)が自宅で開くピアノ教室に通った。小学校にあがり、少年野球を始めてからもピアノを続けた。野球が忙しくなると、ピアノの練習や発表会と重なることがあったが、千鶴さんは、「選手が欠けると迷惑がかかる」と野球を優先するように促した。

 「家族から『ピアノの日は家から飛んで出る』と言われたのが、指導する者としてうれしかった」と言い、「利発な子で、初めて見る譜面でもある程度は弾ける。集中力があった」と千鶴さん。しかし、6年生の3月、「中学では野球をがんばりたいからピアノはやめる」と自分で言いに来た。千鶴さんは、「目標を持つことはすばらしいこと」と激励した。

 甲子園での活躍を見るたび、「ドキドキして、しんどい」と笑う。でも、「俊ちゃんはすごく冷静で、顔に出さない」。甲子園出場を決めた直後、帰省した際にも家に立ち寄ってくれた。「ドキドキしないの?と聞いたら『アドレナリンが出るから』と話してくれた」と笑う。

 「『がんばれ』とは言わない。俊ちゃんががんばっているのは当たり前。『誰もが経験できないことができていることを楽しんでおいで』と言って送り出した」と話す。

 

◆県優勝直後に「エリーゼのために」

 

 中森君とは家族ぐるみで付き合いのある幼馴染の笠井大地君(篠山鳳鳴高2年)は連日、甲子園に赴いてアルプスから親友の活躍を見守った。

 「シュン」「ダイチ」と呼び合う仲。小、中学校と同じ野球チームに所属し、一緒にピアノ教室にも通った。「この夏も県大会で優勝した次の日に家に遊びに来て、『エリーゼのために』を弾いていた」と笑う。

 同じグラウンドに立っていた時、笠井君はセカンドから”投手・中森”を見てきた。「あいつがマウンドに立ったら点を取られる心配はなかった」と、全幅の信頼を寄せていた。

 甲子園では「ポーカーフェイス」とも言われた中森君だが、「シュンはボケ担当で、しょっちゅうおもしろいことばかりしている」という。

 高校は別になったが、試合前には必ず、「がんばれよ」とメッセージを送り、「おう」と返事が来る。そんな友が大舞台で活躍する姿を目に焼き付けた笠井君は、「何かもう、生きる力というか、自分もがんばろうという思いというか、そんなものをあいつからもらいました」と感無量の表情を浮かべていた。

 

中学時代からプレーボール前に行うルーティン。下を向いて深く息を吐き、集中力を高める=兵庫県西宮市の甲子園球場で(花咲徳栄戦)

◆ルーティンの秘密

 

 中森君はマウンドに上がり、プレーボールがかかる前、下を向いて両手で何かを抱えるようなポーズをとることがある。今大会でも時おり、その姿を見せた。

 中学時代、中森君とバッテリーを組んでいた山田祐輔君(篠山鳳鳴高野球部2年)によると、中学時代、練習試合で相手校の先生から教えてもらい、チームに取り入れた。

 息を大きく深く吐き出し、重心を落としてどっしり構えることで、集中力を高めている。試合開始前にベンチメンバーを含め、チーム全員でやっていた。テレビでポーズを見た時は「やってるな」と思ったという。

 山田君は、「今年の夏もやってくれるのではと思っていたが、151キロを出すなど、思っていた以上の活躍。一緒に野球をやっていたメンバーが活躍し、誇らしい気持ち」と話し、「全国区になって注目されるだろうが、中森らしく、今度こそ全国1位を取ってほしい」とエールを送った。

 当時の監督で、和田山特別支援学校の松田淳二教諭(48)は、「春よりも体ができてきたので、ボールに重さとキレが加わった。メンタル面も、技術面も成長させてもらっている。ぜひ日本一になってほしい」と期待していた。

 

◆甲子園出たら見に来てや~!

 

 中森君は、地元丹波篠山でどんな少年期を過ごしたのか。恩師たちに話を聞いた。

 中森君が学んだ福住小学校で5、6年生時に担任を務めた、岡野小の土井健司教諭 (33) は、「6年生が9人しかいなかったので、下級生と合同で遊ぶことが多かった。ドッジボールの時、自分で考えて左手でボールを投げて、全員で楽しくなる方法を常に考えていた。また、児童会長をやっていて、リーダーシップがあり、みんなが自然とついていく感じだった」と振り返る。

 卒業文集に書いた将来の夢は「プロ野球選手」。プロフィール欄にも「甲子園出たら見に来てや~!」と書いており、現実のものにした。

 篠山東中学時代は1学年1クラス。学年代表、担任として3年間、中森君を見てきた今田中の大垣恵子教諭も「学級委員、応援団長、生徒会長などいろんな役を自らすすんでやっていた。周りからも『あいつに任せよう』という存在だった。ただ、普段はどこにでもいる普通の生徒」と振り返る。

 甲子園で投げる姿を見るたび、「高校に行ってから大変なこともあっただろうけど、強い意思を持ってがんばっているんだろうなという成長を感じる」と話す。

 中学3年時には生徒会長も務めた。当時、生徒会担当だった多紀小の小嶋拓也教頭 (46) は、「人前では、準備をしっかりして堂々とした態度で話していたし、ユーモアもあった」と振り返る。

 また、当時、同じ学年の生徒たちが色んなことにチャレンジする動画を撮影し、文化祭で発表したそう。「中森君は、ホームベースにバットを3本立てておいて、マウンドからノーステップでボールを投げて3球連続で当てるというチャレンジをしていたのが印象的」と話す。

 そんな子が大舞台で活躍した。小嶋教頭は、「テレビなどで取り上げられている中森君を見ていて誇らしく、うれしく、元気をもらっている。いい夏を過ごさせてもらった」と話していた。