「いかにも戦国の山城」 「麒麟がくる」時代考証の小和田哲男さん 「赤鬼」の居城に登山

2019.09.13
ニュース丹波市明智光秀と丹波地域歴史

山頂で記念撮影を楽しむ参加者。前列左から4人目が小和田さん=2019年9月8日午後零時42分、兵庫県丹波市の黒井城跡で

明智光秀を主人公とする来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で時代考証を務める歴史学者の小和田哲男さん(75)らがこのほど、兵庫県丹波市の国指定史跡「黒井城跡」への登山などを楽しんだ。同城跡は「丹波の赤鬼」の異名を持つ赤井(荻野)悪右衛門直正の居城で、光秀が攻め落とすのに苦労した堅城。小和田さんとともに光秀ゆかりの地を巡るツアーの一環として立ち寄り、ツアー参加者40人ほどと一緒に登った。

 

光秀を敗走に追い込んだ赤井直正の居城

今なお石垣が残る黒井城跡

小和田さんは静岡大学名誉教授。戦国時代史を専門とし、NHK大河ドラマ「秀吉」「功名が辻」「天地人」「江」「軍師官兵衛」「おんな城主 直虎」で時代考証を務めた。戦国時代に関する多くの著書がある。

天正年間、織田信長の命を受けた光秀が、丹波国平定戦「丹波攻め」を繰り広げた。同3年、丹波国に覇を唱えていた赤井直正との戦いでは、直正が光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」を展開し、光秀は敗走。この作戦は、同県丹波篠山市の八上城主・波多野秀治が赤井方に寝返ったことに起因するともいわれ、直正と秀治との間にかねてからの密約があった可能性もあるという。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

地域住民から「保月城」とも呼ばれる黒井城跡は、今なお石垣が多く残り、いたるところに往時の遺構が見られる。

 

黒井城跡「攻防の歴史しっかり残る」

石垣を調査する小和田さん(右)

丹波市春日町のボランティアガイドグループ「お福ちゃんガイド」が案内した。敵を迎え撃ったという「三段曲輪」「石踏(せきとう)の段」など、山の随所に残る遺構を確認しながら、城跡がある山頂をめざした。

山頂では、石垣の写真を撮影したり、眺望を楽しむなどした。小和田さんは「黒井城跡には、学生時代と20年ほど前に登ったことがある。さすがに今回が一番きつかった」と汗をぬぐい、「黒井城跡はいかにも戦国の山城という印象。攻防の歴史もしっかり残っている点でも注目すべき城跡」と話した。

参加者の男性(56)は、「登山はしんどかった。光秀が攻め落とすのに苦労したことがわかった」と話していた。

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