座の文化

2019.09.01
丹波春秋未―コラム

 子どもの頃、正座をするようしつけられた記憶がある。それは少なからず苦行だった。明治大学の斎藤孝教授がいうように、「両膝を折り畳んで踵を尻につける正坐法は、身体にとって自然な姿勢ではない」からだ。しかし、それでも正座を強要されたのは、「居ずまいを正せ」という教えだったのだろう。

 「自分自身の身心を律すると同時に、他者に対する礼儀正しさを表現する」。それが正座であり、日本に特徴的な座法として根づいたと、斎藤氏はいう。我が国の文化でもあった正座だが、近年、生活の洋式化を受けて崩れかかっているようだ。

 「しゃがむ」という行為も特有のもののようだ。評論家の多田道太郎氏の本に、「これはアジア人の特技なのだろうか、ヨーロッパ人は目を見張る。彼らにはとても難しい姿勢のようだ」とあった。

 その本に、鶴見俊輔という哲学者は、しゃがんだまま一冊の本を読み通したというエピソードが載っていた。よくもそんなことができたものだと感心するが、「しゃがむ」ことはごく普通の身体能力であり、正座と同様に「座の文化」だったのだろう。

 しゃがんで用を足す和式トイレの背景には、そんな座の文化があった。しかし、前号の本紙で報じたように学校のトイレでも洋式化が進んでいるという。時代の流れなのだろう。(Y)

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