あなたの「家紋」は? 知らない人増え”危機” 背景に文化全体の揺らぎ

2019.11.30
ニュース丹波篠山市地域歴史

墓石に刻まれた家紋

知ってますか? あなたの家の家紋―。バリエーションも含めれば2万種近くもあるといわれる日本独自の紋章「家紋」。戦国武将や有名大名のみならず、世界的に見て名字が非常に多い日本には大半の家に存在する。しかし、研究者によると、自分の家の家紋を知らない人が増え、このままでは一般社会から消えてしまう恐れもあるという。日本固有の文化に危機が迫っている。そもそも家紋とは何か。危機の原因は何なのか。

「家紋の発祥は平安後期とされます。まず、世襲する領地や財産ができ、ほかの家と区別するために名字が増えた。そして、公家の西園寺家が自分の乗る牛車がすぐわかるように印(巴紋)をつけた。これが公家の間で“流行った”わけです」

そう話すのはネットサイト「家紋ワールド」を運営する研究者で、日本家紋研究会理事の田中豊茂さん(66)=兵庫県丹波篠山市。田中さんに教えを請いながら家紋の歴史をひも解いた。

 

発祥は公家の間の「ブーム」

家紋について研究している田中さん=兵庫県丹波篠山市黒岡で

平安後期に流行した家紋は牛車だけでなく、衣服や調度品にも使われるようになる。

そして平安末期から武家が台頭し、鎌倉時代に入って武家社会になると、武士たちは戦場での武功をアピールすることや敵味方を識別するため、武具や旗などに家紋を入れるようになった。そして、武功に対する恩賞として領地が与えられたり、また、領地替えがあったりしたことで、武家とともに家紋も爆発的に全国に広まった。

ちなみに公家の家紋は雅な印象。武家は武骨で目立つものが多いそう。

江戸時代になると何といっても「この紋所が目に入らぬか」でおなじみ、徳川将軍家の「三つ葉葵」が家紋ヒエラルキーの頂点に立つ。権威の象徴でもあり、同時に憧れでもあったようで、庶民の中でも歌舞伎役者や遊女、浪人など元は武家の流れを汲む人々も家紋を使いだした。

そして明治。武家は衰退したものの、庶民も名字を名乗ることになり、特に禁止されなかった家紋が再び浸透した。家紋は常に日本の歴史とともにあった。

都市部出る人増え、忘れられ

明治、大正、昭和、平成、そして令和を迎えた今、自分の家の家紋を知らない人が増えてきている。

田中さんによると、家紋という文化が色濃く残っていたのは地方部。しかし、往来が自由になるにつれ、田舎を離れて都市部で暮らし始める人が増える。そんな家庭が世代をへていくうちに、名字は伝わっても家紋は忘れられていったのだという。

背景には、刀や調度品など家紋を入れて子孫に引き継ぐ “モノ”が減った現実がある。

例えば着物。洋装が基本になり、大人で家紋入りの着物を着るのは結婚式くらいになった。「着物文化」の衰退は家紋の危機に密接に関係している。

さらに近年では、「継ぐ人がいない」「管理が大変。費用も掛かる」などの理由で、家紋が刻まれることもある墓の「墓じまい」が進む。墓には家紋以外にも先祖の情報も多く記されているため、自身のルーツをたどることがさらに難しくなる。

日本の文化全体の揺らぎに伴って、家紋も危機を迎えているようだ。実際、記者の同僚も自分の家紋を知らなかったり、「見たことはあるけど、どんなだったかなぁ?」という人が多かった。

田中さんは警鐘を鳴らしつつも、「それでも家紋は本当におもしろい。わが家の家紋を知れば、先祖がどこで何をしていたか見えてくるかもですよ」とほほ笑む。

洗練されたデザインに魅力

さまざまな種類がある家紋(田中さんのホームページより)

田中さんが屋号「播磨屋」で運営するサイト「家紋ワールド」には戦国大名や氏族のものなど5000種近い家紋が掲載されている。

もともと日本史が好きで家系図などを調べていくうち、付随する「家紋」の洗練されたデザインに魅力を感じたそう。

そんな田中さんは、イベント時などに「家紋鑑定」のブースを出している。来場者の家紋からルーツを探るという内容だ。

試しに記者の家に伝わる家紋「結び雁金(かりがね)」を鑑定してもらった。

先祖とのつながり「想像」に楽しさ

記者の実家は京都府の丹波地域。「この辺りでは、戦国時代、氷上郡(現・兵庫県丹波市。京都・丹波地域と隣接)を治め、明智光秀とも激戦を繰り広げた赤井家が同じ家紋ですよ」

いきなり戦国武将の名が飛び出した。

「また、真田信繁で知られる信濃の真田家も結び雁金。伝承では氷上郡にいた武家に信濃からやってきた人がいたとされているので、何か関係があるのかも」

真田信繁と言えば、NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公だ。

記者が知る限り農家だったわが家に赤井や真田とのつながりがあるとは到底思えないが、昔、亡くなった祖母から「わが家は足軽だったらしい」と聞いたことがある。もしかして―? 淡い期待が芽生え始めたが、田中さんは、「家紋が同じと言うだけで関係があったと確定はできません。憧れで決めたこともあるようですし」と冷静だ。

しかし、「とはいえ、確証はないけれど、何かつながりがあった可能性もある。そんなことを想像するだけでも楽しいでしょ。これも家紋の良さですよ」。

“鑑定士”の目がきらりと輝いた。

家紋は歴史に通ずる”鍵”

家紋を知ることは家を知ること。そして、家を知ることは歴史を知ること。私たち日本人はだれしもが歴史につながる”鍵”を知らずに受け継いでいる。

田中さんは言う。「家紋を知ろうとすることで、おじいちゃんやおばあちゃんと話したり、お墓に行ってみるきっかけになる。そんなことが、家や文化を守ろうという意識につながるはずです」

みなさんも「わが家の家紋」を調べてみては?

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