兵庫県丹波篠山市糯ケ坪7組の”最長老”だった故・中山清さんの「しのぶ会」が、中山さん宅で開かれた。中山さんは昨年12月2日、99歳でこの世を去った。地域の誰からも愛され、精神的支柱だった中山さんを慕う隣近所の人々は、以前から誕生日の2月15日に中山さんの家でパーティーを開いており、今年は百寿を祝うのを楽しみにしていた矢先のことだった。それでも、住民や家族は、「さびしいなぁ」などと口にしながらも、愛すべき”おっちゃん”の思い出話に花を咲かせた。
大正9年(1920)生まれの中山さん。戦前、戦中、戦後と激動の時代を生き、左官職人として80歳まで現役を続けた。90歳で新車を買うほど元気だったが、最愛の妻に先立たれた後、体調を崩した。
地域の大黒柱だった中山さんのもとには、自然と隣近所の人々が食事を持って行ったり、安否を気遣うために訪問するようになった。決まった時間に雨戸が開いていないことを心配した住民が駆け付け、足を痛めて動けなくなっている中山さんを救ったこともあったという。
8年前からは離れて暮らす長男の益夫さん(71)と次男の有二さん(69)が1週間交代で泊まり込んで世話するように。その後も地域の人は中山さん宅に集まり続け、誕生日会や花見など、四季折々をともに過ごしてきた。
隣近所の西山洋子さん(79)と山内恵子さん(53)によると、11月末にショートステイから戻った中山さんが、「髪の毛を切りたい」と言ったため、理容店を営む西山さんが整髪。そのまま茶話会となり、「さっぱりしたわ」と、中山さんも元気な笑顔を見せて別れた4日後、誤嚥性肺炎のため亡くなった。
しのぶ会には、家族や親せき、地域住民が参加した。中山さんが大好きだったコーヒーといちごのケーキを食べ、「よく戦争のときの話をしてくれた」「奥さんに先立たれた後も、朝からきちんとみそ汁を作っていた」「仕事に出ているときに雨が降ってきたら洗濯物を入れてくれていた」など、思い出を語り合った。
山内さんは、「『親は子どものためなら何でもする。けれど、当たり前と思わず、感謝しないといけない』と、おっちゃんにこんこんと言われたことを思い出す」としみじみ。西山さんも、「いつもこちらが元気をもらっていた。今の時代の隣近所の関係からすればなかなかあり得ないこと。それでも大切にしていきたい」と話していた。
益夫さんは、「近所の人には本当にお世話になった。本人も喜んでいると思う」と笑顔で話していた。