「赤鬼」が城跡へ案内 光秀ゆかりの地に看板 激戦演じた赤井直正の”城下町”/兵庫・丹波市

2020.07.17
ニュース丹波市地域地域明智光秀と丹波地域歴史

 

完成を前に姿を現した案内看板=2020年7月13日午後2時41分、兵庫県丹波市春日町黒井で

「丹波の赤鬼」が城跡へ案内―。兵庫県丹波市春日町黒井の交差点近くに、黒井城主・赤井(荻野)悪右衛門直正らのイラストが描かれた黒井城跡への案内看板がお目見えした。同市が設置を進めているもので、7月末の完了検査を前に姿が現れ、市民の話題になっている。

天正年間、織田信長の命を受けた明智光秀が、丹波国平定戦「丹波攻め」を繰り広げた。同3年、丹波国に覇を唱えていた直正との戦いでは、直正が光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」を展開し、光秀は敗走。この作戦は、同県丹波篠山市の八上城主・波多野秀治が赤井方に寝返ったことに起因するともいわれ、直正と秀治との間にかねてからの密約があった可能性もあるという。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

その後、光秀は黒井城の下館(現興禅寺)に重臣・斎藤利三を置き、戦後処理にあたらせた。この下館で利三の子として生まれたのが「お福」で、のちに徳川三代将軍・家光の乳母になる春日局。

看板は国道175号沿いで、セブンイレブン丹波春日黒井店の駐車場の一角。市が所有する土地で、以前も観光看板があった。

高さ5メートルほど。看板は3面あり、直正や明智光秀、利三、お福の姿が鮮やかに表現されている。いずれの面にも「明智光秀ゆかりの地」の文字が添えられている。

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