蒸気機関車「C1140」説明に誤り 「国鉄篠山線」走ってなかった 世話した元国鉄マン「それでも”娘”」

2020.12.22
地域歴史

JR福知山駅前に展示されている「C1140」=2020年12月14日午後零時26分、京都府福知山市で

かつて兵庫県丹波篠山市の旧丹南公民館前にあり、現在は京都府福知山市に移譲され、JR福知山駅前に展示されている蒸気機関車「C1140」―。展示説明では昭和47年(1972)まで丹波篠山市内にあった「国鉄篠山線」を走行していたと紹介されているが、篠山線の歴史を調べている松本剛さん(61)=同市井ノ上=が入手した資料などから、篠山線を走った可能性は限りなくゼロに近いことが判明した。以前から一部で指摘されていたが、松本さんの資料がさらなる裏付けとなった。

「C1140」は篠山線が廃線になった昭和47年、国鉄から旧丹南町(現・丹波篠山市)へ無償貸与され、「篠山線の思い出」として公民館前で展示されていた。その後、2007年に駅前再開発の目玉展示として福知山市に移譲され、転車台に載せた状態で展示されている。

公民館に展示していた頃、国鉄関係者でつくる「篠山線SL保存会」が設置していた説明板によると、車両は「同型式のC11型の機関車と交替しながら昭和19年(1944年、篠山線開業の年)3月21日から昭和31年(1956)3月26日まで篠山線を走り続け―」とある。

旧丹南町で展示が始まった際、当時の本紙(4月2日号)には、「昨年秋まで三十八年間(製造から)、シュッポッポと走り続けた老機関車が、チビッ子たちに囲まれた余生を過ごすことになる」「篠山線を走っていたという因縁深いもの」(※当時の記者に代わり、訂正します)と記述がある。

配置表には別車両 説明時期は和歌山

駅前の説明板にも篠山線を走っていたと説明されている

松本さんが入手した資料は、福知山鉄道管理局が作成した昭和26年(1951)から昭和35年(1960)までの「機関車及び気動車配置表」の一部。最も古い昭和26年2月分から昭和30年2月分までの配置表を見ると、篠山口駐泊所の欄には「C11335」「C11363」とあり、「C1140」は記載がない。

ようやく登場するのは昭和34年(1959)9月分で、場所は福知山機関区。しかも「入換専用」の欄にある。

また全国の機関車情報を網羅した書籍「機関車表」にある「C1140」の車歴によれば、説明板で篠山線を走っていたとされた時期は和歌山県の新宮区に駐泊。昭和20年(1945)には紀勢西線で脱線事故を起こしたという記述もある。昭和31年に福知山区に配置、昭和46年(1971)に廃車とある。

これらの資料から、「C1140」は少なくとも篠山線の専用車両ではない上、説明板に誤りがある可能性が非常に高いことが明らかになった。

当時知る人なく JR西も「不明」

なぜ篠山線を走っていたことになったのか。当時の関係者に取材を試みたが、事情を知る人にはたどりつけなかった。JR西日本福知山支社にも問い合わせたが、「支社にも本社にもC1140の車歴についての資料がなく不明」とのことだった。

公民館前への展示に尽力し、清掃や修繕活動に取り組んできたSL保存会のメンバーも、当時を知る人はほとんど他界しており、詳細は分からない。

ただ、旧丹南町役場の元職員は、「国鉄から貸与される際、『篠山線を走っていた機関車と同じ型のもの』と言われた」と証言し、一部では知られていた情報だったことが分かった。

常駐でない証拠 「事実は訂正を」

元保存会員で、篠山線で運転手をしたこともある畑穣さん(84)=同市味間新=も展示当初は関わっておらず、「なぜこうなったのかは分からない。一時的に篠山線に入った可能性はあるが、配置表にないということは、少なくとも篠山線に常駐していなかった証拠」とし、「ただ、いずれの車両もいわゆる『豆機関車』。よく似た車両が走っていたのは間違いない」と話す。

そして、「あの頃の国鉄職員で庫内手だった人は、入ってすぐに機関車の部品を磨くのが仕事だったので、思い入れはとても強い。たとえ本当は走っていなかったとしても、長年、世話をしてきた私たちにとっては、変わらず”娘”のようなもの」とほほ笑んだ。

松本さんは、5年ほど前に資料を手に入れていたが、保存会や関係者のことを考えて公開してこなかったという。「当時を知る人もほとんどおられなくなったが、一部の鉄道ファンは今もC1140が篠山線を走っていたと、福知山駅に『聖地巡礼』する人もいる。夢を崩してしまうかもしれないが、事実でないことは訂正しないと」とし、「関わった人それぞれに思いがあり、今となっては誰が悪いという話でもない。ただ正しい歴史を伝えていってもらえれば。丹南公民館前に展示されていたこともまた事実で、このことはしっかりと守っていきたい」と話した。

現在、機関車を所有する福知山市都市・交通課は、「福知山で設置している説明も丹波篠山からの情報をもとにしている。今回の情報には驚いた」と言い、「丹波篠山と福知山の間をつないだ縁の一つであることに変わりはない。すぐに説明板を変えることはないが、車両についての情報を求められることもあるので、今後は情報提供の仕方を変えていくよう、検討したい」と話している。

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