明治期「天然痘」への対応 寺で集団予防接種実施 通達の古文書「まん延恐れ、予防に注力」 コロナ禍と重なる部分も

2021.02.20
地域歴史

明治期に柏原町役場が予防接種を受けるよう通達した文書。会場が「西楽寺」と指定されている=2021年2月16日午前9時43分、兵庫県丹波市柏原町柏原で

兵庫県丹波市柏原町の古市場公民館に、1892年(明治25)に旧柏原町役場が住民に対し、感染症「天然痘」(痘瘡)の予防接種(種痘)を受けるよう通達した文書が複数保管されている。明治の感染症対策は、子どもから大人までお寺に集め集団接種。当時の当局が感染のまん延を恐れ、予防に力を入れていたことがうかがえる。新型コロナウイルスのワクチン接種が関心を集める中、コロナ禍の現在の状況と重なる部分がある。

「柏原古文書の会」(竹内脩代表)が、同公民館に保管されている古文書を読み進める中で見つけた。2つの文書が見つかっており、子どもを含む計約200人の氏名が記載された名簿が付けられている。いずれの文書も明治25年付。

4月21日付のものは、前日に役場が同町の「三ケ町」の総代に宛てて通達した内容を添付し、古市場町の各戸に宛てている。「(4月)27日午前7時から、町内の西楽寺で予防接種をするので出向くように」などという内容で、住民とみられる90人ほどの名簿が付けられ、名前のところに押印されている。

この文書の約7カ月後、同町役場が古市場町の総代に宛てた同年11月18日付の文書もある。「最近、神戸地方で痘瘡が頻繁に発生し、まん延の兆しがある。本県(兵庫県)より告諭があったので、臨時の予防接種を実施する」などとし、まん延を前に手を打とうとしたことが分かる。

続いて「病気やその他の事故によって受け難い人は、21日午前中に役場まで必ず申し出るように」とある。その後に名簿が添付されており、番地と100人ほどの児童姓名の記載、押印がある。

「神戸地方ニ於テ痘瘡頻ニ発生シ」と予防接種実施の背景をつづった文書

「柏原町志」によると、明治14、18、25年に天然痘が流行した。氷上郡内(現・丹波市)での予防接種は江戸末期の安政(1855―60年)のころ、新郷村(同市氷上町)の医師・松本節斎が大阪で種痘術を修め、安政6年に柏原町外43カ町村で接種を行ったのが最初。明治28年から村医を定め、患者数に応じてワクチンを得て毎年1回、予防接種が行われた。

その効果は高かったようで、明治44年―昭和29年の天然痘患者は昭和21年に6人確認されただけとなった。この年は全国的に流行しており、太平洋戦争後、海外からの引揚者がもたらした影響ともいわれる。

この時代、同町では赤痢やインフルエンザなども流行したとあり、住民は感染症に悩まされていたことが推測できる。

竹内代表(79)は、「本格的な天然痘のまん延を前に、当局が気を遣っていたことが分かる。この時代、ほかにも感染症があり、役場としても予防には相当力を入れたのだろう」と話している。

天然痘(痘瘡) 感染力が強い天然痘ウイルスが飛沫、接触などによって広がる。致死率は高く、高熱や頭痛などの初期症状を経て、顔などに痛みを伴う発疹が生じ全身に広がる。発疹は化膿し、肺炎などの合併症を併発する可能性があり、それが死因となる場合もある。治癒しても瘢痕(あばた)を残す。過去、世界で何度もまん延し、明治期の日本では夏目漱石らも感染したことが知られる。「種痘」という予防法が確立され、1980年(昭和55)、世界保健機関(WHO)が「世界天然痘根絶」を宣言。人に感染する感染症で、人類が根絶できた唯一の例といわれる。

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