「日本初の観覧車」に新資料 ふすまから当時の新聞発見 名前は「グレートホイール」

2021.04.24
地域歴史

日本初の観覧車が大阪に登場した様子を伝える新聞記事。挿絵の左上に観覧車が確認できる

「風車の如き鐵の車輪」―。兵庫県丹波市の氷上郷土史研究会の古文書部会が、円通寺(同市氷上町御油)で進めているふすまや屏風の下張り文書はがし作業で、昨年、日本初の観覧車が大阪に登場した様子を伝える1906年(明治39)の新聞を見つけた。今はない「大阪新報」の記事で、これまで別の2新聞ではこの観覧車について記されたものが見つかっていたが、新資料となる貴重な発見となった。日本初の観覧車は長年、07年の勧業博覧会(東京・上野)が初登場とされてきたが、観覧車研究家によって大阪が初だったと判明している。

日露戦争の勝利を記念して行われた「戦捷記念博覧会」を伝える4月1日付の記事で、会場だった天王寺公園(大阪市)に観覧車があることが記されている。紙面中央には大きなイラストがあり、観覧車の絵も描かれている。

当時、「観覧車」という言葉はなかったようで、記事では「グレートホイール」と表現。65尺(約19・5メートル)ある鉄の車輪に、6人乗りの客車を12個つけ、「グルグル回転させる」「乗車料は未だ不定」とある。

挿絵を拡大すると

さらには「入場者の喝采を博するかと思われる」と人気を予想する一方で、「未だ出来上がっていない」「一体いつ頃出来るのか」「なるべく早く始めて欲い」とも記し、博覧会が始まっているのに未完成だったことが伝えられている。

古文書部会代表の山内順子さんによると、観覧車研究家の福井優子さんがこれまでに、当時の新聞「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」での記述をよりどころに、大阪が“日本初”であることを突き止めた。

今回発見された「大阪新報」は、明治から大正時代に発行された政治団体の機関紙で、2紙以外に観覧車の記述は見つかっていなかった。

山内さんは「観覧車や博覧会の歴史研究に新たな情報を提供できたことが成果。古い新聞が貴重な発見につながることもあり、今後見つかる文書も深く読み込みたい」と話している。

古いふすまや屏風には、補強や保温効果を高める目的で、下張りに古文書や新聞が使われている。同部会は、そこに貴重なものがあるとして、数年前からはがし作業を続けている。

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