過去には360軒火災も 史料に見る城下町「大火」の記録 貴重な景観と脆弱な防災、再確認を

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江戸時代の城下町を記した地図。住宅が密集し、袋小路がある

兵庫県丹波篠山市山内町で今年7月24日に発生した大規模火災から5カ月が過ぎた。計10棟が焼け、近年では例のない「大火」だった。市消防本部が延焼原因の第一に挙げたのが、「住宅の密集地」であること。篠山城跡を中心に広がる城下町は住宅や商店が軒を連ねており、木造家屋の割合は80%。一度火災が発生すれば、延焼の危険性が非常に高い。事実、歴史をひもとけば、過去には360棟ほどを焼く大火が発生している。過去と現代では建物の耐火性能や消防体制などの違いがあるため、単純には比較できないが、城下町であるがゆえの貴重な景観と、防災面の脆弱さがあることは変わらない。今後のまちづくりへ、まずはこの2つの要素があることを再確認する必要がある。

現在の城下町も住宅が軒を連ねる

「過去に経験したことのない火災だった」―。被災した人や消火活動に当たった住民から同じ言葉を何度も聞いた。だが、正確に言えば、「近年では」という言葉が頭につく。

篠山藩の日記「藩日記援萃」には、江戸時代に発生した数多くの大火の記録がある。

明和元年(1764)10月16日午後4時ごろには、「御先手組」(所在地不明)で火災が発生し、66軒が類焼。寛政11年(1799)には東新町で火災が発生し、周辺12軒と長屋6棟が焼けた。

文化4年(1807)2月18日には、御家中49軒、町屋129軒、貸家7棟、長屋7棟、寺院2カ所が焼ける大規模な大火が発生。原因は、「付け火」(放火)と記されている。この火災では東新町が火元となり、東側の立町に、さらには北の黒岡にまで類焼した。

安政3年(1856)3月20日には、同じく東新町で火災があり、御家中屋敷63軒、町屋81軒、長屋9棟に延焼。牢屋や寺院も焼失し、「水沢焼」と名付けられた。

江戸時代の大火が要因となって開かれた「蛤小路」=兵庫県丹波篠山市東新町で

「藩日記援萃」作成前では、江戸幕府の公式史書「徳川実紀」に、寛文11年(1671)、「丹波笹山火ありて」と記述があり、被害は士屋(武士の家屋)91軒、商屋(町屋)272軒が焼けたとあり、文献上、最多の被害をもたらした大火と言える。

近代で最も被害が出た火災は明治23年(1890)9月4日、河原町で発生。「多紀郷土史考」には、「家数にして40軒余一面火の海と化した」と記述がある。

いずれも死傷者数までは書かれていない。

城下町は敵の侵入を防ぐため、城を囲うように家々が軒を連ねた。かつては袋小路が数多く存在したため、逃げ場がなくなり、命を落とした人も多かったと考えられる。

多紀郷土史考には、水沢焼の際、通路がないことに不便を感じたことから、城跡東堀から立町へと抜ける道を開いたことが記され、「蛤小路」と名付けられたとある。焼くと口が開く、蛤が由来という。

江戸時代の大火の後、類焼を防ぐために道から家屋を道から後退させた御徒町通り=兵庫県丹波篠山市西新町で

また、天保元年(1830)には、西新町の御徒町で大火が発生したことから、復旧に当たった当時の藩主が再建する家屋を道から6尺(約1・8メートル)後退させた。

城下町内には「火伏の神」として信仰される愛宕神社や秋葉神社が点在するなど、大火の名残は今も残っている。

江戸時代の区画がほとんどそのままで、伝統的なまちなみが色濃く残っている城下町一帯は、一部が国重要伝統的建造物群保存地区に指定されるなど市を代表する観光資源でもあり、市は景観維持を掲げている。

一方で火災が発生すると、いかに延焼しやすいかは、歴史的にも、今回の火災でも明らかだ。

2008年、市教育委員会がまとめた「篠山伝統的建造物群保存地区防災計画報告書」にある、城下町の住民に対して行ったアンケートでは、「家屋の住みにくい点」という問いに対して、49・5%と最多の回答だったのが、「火災が起こったときのことを考えると不安」。「地域環境」の問いでも、「火事や地震等がおこったときに防災面で不安がある」が63・1%で最多だった。

同じく災害に強いまちづくりに向けた取り組みとして、「各家庭でできる取り組み」を問うと、「火を出さないように毎晩点検する」が64・1%で突出するなど、住民の火災に対する意識が強いことを示している。今回の火災後、篠山小学校区内の自治会と消防団で消火栓の点検も実施している。

市市民安全課は、「住宅密集地はいざ火災となれば延焼しやすいという意識はあり、今回の火災を受けて、他地区でも防火意識が高まっている。年末にかけて火を使うことも増え、空気も乾燥しているため、最大限気を引き締めてほしい」と呼び掛ける。

市景観室は、「250年続く城下町の町並みは全国的に見ても非常に貴重で、保存・継承すべきもの。一方で、防災面も考慮していかないといけない。どちらかに偏り過ぎず、景観と安全性の両方を追い求めていくことで、地域独自の新しい町並みが創造されていくと考える」と話す。

山内町の火災で被災した住民は市に対して、「今回の火災を記録に残すことで、今後の防災にも生かしてほしい」と訴え、聞き取りが行われた。

「火災があった」で終わらせることなく、現状を再確認し、何が問題で、そこから何を学び、どう生かしていくかが今後求められる。

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