床下に土と石の「棺」? 正体は「お蚕様」の暖房 養蚕思い出させる産業遺産

2022.06.09
地域歴史

床下から見つかった蚕室暖房用の炉。棺のようだ=兵庫県丹波市青垣町で

丹波新聞社では住民のさまざまな疑問を記者が調べて解決する「調べてくり探(たん)」を展開しています。今回は、「築年数不詳の兵庫県丹波市青垣町の古民家をリフォーム中、床下から土と石でできた棺(1・8メートル×0・7メートル×0・5メートル)のようなものが出てきました。田の字型の4つの間取りのどの部屋にも1つずつあります。工務店の人から、『蚕(かいこ)を飼うのに使っていたものらしい』と聞きましたが、どうやって使っていたのか知りたい」との質問。果たして真相は?

「蚕」をヒントに、子どもの頃、養蚕を手伝っていた青垣町内の女性(80)に写真を見せた。「炉やわね」と即答。「どこの家にもあったんやないの?」と水を向けられた友人の女性は、「うちにもあった」とうなずいた。春や秋に蚕を飼育する部屋の室温を上げる床下暖房装置だそうだ。蚕の飼育には、22―25度程度が適温とされる。

炉に床板をのせたところ。ここだけ床板が取り外しやすくなっている

女性によると使い方はこうだ。畳を上げて床板を外し、炉にクヌギの木をぎっしり敷き詰め、火をつける。クヌギが短時間で燃え尽きないよう灰をかけ、くすぶらせる。「灰の中でクヌギが燃えるとかさが減り、灰の表面がプスっと凹む。そこに灰をかける」と、詳細に使い方を解説した。

クヌギをくすぶらせたまま、炉の上に床板を戻し、その上で蚕を飼った。現金収入になる「お蚕様」は、とても大事にされていた。

蚕室は空き部屋が使われ、女性宅は客間を充てた。家族が暮らす部屋より格段に暖かいため、蚕がいる部屋で寝ようとすると、「えろうなる(しんどくなる)で」と親に言われた。女性宅には、炉がある部屋の隅に小窓が付いている。一酸化炭素中毒を用心した換気用だろうか。「炉に落ちてやけどする人はあっただろうけど、火加減に失敗し、家が焼けた話は、私は聞いたことがない」

鉄製の蚕室用暖房器具(農林水産省のウェブから)

女性宅には今も6つの炉が残っている。が、使えない。「炉は床下の風通りを妨げるので、穴を開けた」そうだ。

炉と薪を使う床下暖房は「埋薪法」と呼ばれる。大正3年(1914)の農商務省養蚕試験場の研究報告に「埋薪法に関する実験成績」があり、大正10年(1921)4月26日付けの「横浜貿易新報」に「埋薪法に就て 繭生産費低減の良法」とする記事が掲載されている。大正時代には「埋薪法」が普及していたことが伺える。

農林水産省のウェブサイトで、明治時代に使われた鉄製の蚕室用暖房器具が紹介されている。円筒型で直径が29センチ、高さ39センチと片手で持ち運びができるコンパクトなものだ。燃料は、練炭や木炭を使ったとある。

県内唯一の養蚕農家、柿原啓志さん(86)=丹波市春日町中山=は、「床下の炉は、話は聞いたことがあるけれど、うちにはなかった。炭で部屋を暖めた。それも私が子ども時分の話」と話す。蚕室暖房はさまざまな形があったようだ。

炉は丹波地域で昭和30年代半ばまで盛んだった養蚕を思い出させる産業遺産だった。

工務店の話から、「床下で蚕を飼うためのもの」と想像していた取材依頼者(72)は、「考えられない。蚕のために客間を使い、部屋を温めるなんて。そんなに大事にされていたのか」と舌を巻いた。「私はずっと大阪で、農村の暮らしを知らない。昔の生活文化に触れられた。いやあ、面白い」と、感心していた。

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