「憧れは伊藤美誠選手」 90歳女性コンビ、卓球”現役” 毎週ラケット手に軽快な動き 19日は「敬老の日」

2022.09.19
地域

敬老の日を記念した卓球大会で仲間たちと共にラケットを握る谷田さん(前列左)と中島さん(同右)=兵庫県丹波篠山市西町で

きょう19日は敬老の日。兵庫県丹波篠山市で、今年90歳を迎えた谷田君代さんと中島益江さんは、毎週のように西町にある卓球愛好者の集まりに通い、ラケットを振っている。集まりの中では最高齢ながら、軽快な動きとスマッシュは健在。誰もが「90歳の動きではない」と目を丸くする。「憧れは伊藤美誠選手。とても相手にならないけれど、いつか目の前でプレーを見てみたい」とほほ笑む2人。健康の秘訣は「卓球も含めて体と頭を動かすこと」と言い、「これからも振り返らず前向きに。できる限り明るく」と笑う。

「ポコン、ポコン」という音と、人々の笑い声が響く。私設文庫「ふじわら文庫ぐりぐらひろば」の主宰で、自身も愛好者の辻あさみさん(75)が、卓球を通した交流にと約20年前に始めた集まりだ。

地域の男女約15人が集まっては、卓球はもちろん、おしゃべりも楽しみながら親睦を深めている。谷田さんは開設時から、中島さんは開設後すぐに参加した。

2人は満州国の建国や犬養毅首相が暗殺された「五・一五事件」などが起きた昭和7年(1932)に生まれた。

軽快な動きを見せる谷田さん

小学3年生の時に太平洋戦争が勃発。「サツマイモを植えたり、まきを集めに行ったり。学校の勉強もほとんどなかった。とにかく食べ物がなくて大変だった」と回想する。

共に終戦後の高校時代に卓球を始めた。谷田さんが、「暑いのが苦手だったから室内競技がよかった」と言えば、中島さんは、「バレーボール部もあったけれど、私は大きい球が怖かったから」と苦笑し合う。

谷田さんは篠山町役場に就職し、職場や地域で卓球を続けた。縫製工場などで働いた中島さんは、しばらくラケットを持つことがなかったが、たまたま「ふじわら―」の前を通りかかった際、懐かしい「ピンポンの音」に誘われて集まりに加わった。「みんなで寄り添いながら、楽しく体を動かすことにはまった」(中島さん)。

共に病気知らず。谷田さんは、「入院したのはお産のときくらい」と言い、卓球以外にも大好きな歌を楽しみ、日曜、祝日以外はジムにも通う。スマートフォンの操作もお手の物で、スケジュール管理からメール、動画撮影も見事に使いこなしている。

見事なラケットさばきを見せる中島さん

中島さんも「腰が痛いくらい」で、84歳まで縫製の仕事をこなし、今も着物をほどいて洋服にリメイクするなど、変わらずミシンを使い続ける。

自分にとって卓球は何かと問うと、「健康維持の手段であり、みんなと交流する場」「生きがいで、健康の証明書」と朗らかに笑う。

戦前、戦中、戦後と激動の90年を生きてきた2人に近年の世相はどう映るのか。

谷田さんは、「『人って素晴らしい』と思うほど、何でもできる便利な世の中になった。一方で良いことだけでなく、悪い情報も入ってくる。何とも言えない感じ」と顔をしかめ、中島さんは、「先日も携帯に詐欺のメールが来た。気を許して生活できる世の中になってほしい」と話す。

共に孫4人、ひ孫3人。次代を担う若い世代には、「できれば包丁を使った料理を子どもたちに食べさせてあげて」「いろんな考え方の人がいるけれど、我を張らず、その人なりに前を向いて毎日を楽しんでくれたら」と優しいまなざしを向ける。

2人の今後の目標は、「子どもたちになるべく迷惑をかけないように、とにかく健康に気を付けること。周りの人と明るく楽しくお付き合いすること」と声を合わせる。

辻さんは、「2人とも元気でおしゃれで、みんな『あんなふうになりたい』と言う目標。私たちも頑張らないと」とほほ笑んだ。

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