「戦争のない世界」委ねる 広島で被爆の近藤紘子さん講演 敵打ち誓うも気付いた「心の悪」

2022.11.26
地域歴史

被爆した時に着ていた服を披露する近藤さん=2022年11月9日午後3時15分、兵庫県丹波市市島町上垣で

広島に投下された原子爆弾の被爆者で、国内外で平和の大切さを訴えている近藤紘子さん(78)=兵庫県三木市=がこのほど、同県丹波市の市島中学校で全校生を前に講演した。生後8カ月で被爆した近藤さんは「心の中に平和を」と題し、戦後、目の当たりにした被爆者の悲惨な状況や、原爆を投下したB―29「エノラ・ゲイ」の副操縦士に出会った体験などを話し、若い世代に戦争のない世界をつくってほしいと語り掛けた。要旨は次の通り。

「敵を討つ」

1945年8月6日、父(谷本清氏)は朝早く家を出て、私は母と2人だったそうだ。自宅は爆心地から1・5キロの所にあり、つぶれてしまった。父は牧師で、800メートルほど離れた父の教会に簡単な家を造り、住み始めた。

4歳の時、教会に子どもたちがやって来た。「なぜ1人で来るんだろう」と思ったが、その子たちは孤児だった。孤児院に入れない子は広島駅の構内にいた。そういう姿を見た父は、いたたまれなかったようだ。

ある日、中学生や高校生が教会にきた。顔を見ることができなかった。まぶたが額に引っついたままとか、唇が顎に引っついたままの人もいた。あるお姉さんが、くしで私の髪をといてくれた。ふと見ると、お姉さんの指は全て引っついたままだった。お姉さんの話によると、1つの爆弾が広島に落ち、お兄さんやお姉さんがやけどを負ったということだった。私はB―29に乗っていた人たちを見つけ出し、「敵を討つ」と思っていた。

涙流した副操縦士

父は戦前、アメリカに留学したこともあって、戦後は海外で講演して広島の惨状を伝える活動をしていた。10歳になった1955年、父は(被爆した)子どもや女性たちのため、何かできることをと動き回っていた。(アメリカのテレビ番組が、父を取り上げることになり)私も母と一緒にアメリカに行った。

大きなテレビ局のホールで、お客さんが多くいる中、私はステージの端にいた。反対側に「エノラ・ゲイ」の副操縦士、ロバート・ルイス氏がいた。私が敵を討つと思っていた相手だ。「あなたたちが原爆を落とさなければ、多くの人は死なずにすんだ」という気持ちでにらみつけた。

(番組でルイス氏へのインタビューがあり)原爆を落とした後、ルイス氏らに「落とした爆弾の威力を見て来い」という指令が届いたそうだ。まちを見ると、広島が消えていた。彼はノートに「神様、私たちは、なんてことをしたんでしょう」と書いたそう。そう言った彼の目から涙がこぼれ落ちた。

その姿を見た私は、「この人も同じ人間なんだ」と感じた。「私は良い人、私は正しい人」と思っていたが、心の中をのぞいてみると、親の言うことを聞かなかったり、弟をたたいたりしたこともあり、心の中に「悪」がいることに気付いた。憎むべきは、戦争を起こす心の中の悪であり、それは私の心にもある。

番組が終わり、ルイス氏の横に行って、手に触れた。「ごめんなさい。あなたのことを何も知らないのに」という思いだった。ルイスは私の手を握った。会えてよかった。会えなかったら、いつまでも「私は正しい、悪いのは相手だ」と思っていたことだろう。

広島には帰らない

小学生の頃、年に数回、(放射能が人体に与えた影響を調べる)検査に行かされた。服を脱がされ、検査室に入った。窓がなく、スポットライトが正面を照らしているだけで、男性の医者ばかりだった。ガウンを脱ぎ、ふんどし一枚にされ、屈辱だった。私が原爆を落としたのでないのに。すぐに逃げ出したいと祈った。二度と、ここには来ないと思った。

高校卒業後、アメリカに留学したが、広島に帰りたくなかった。あんな検査はさせられたくなかったからだ。「アメリカで結婚しよう」と思い、婚約もしたが破棄になった。彼のおじさんが医師で、放射能が人体にどういう影響があるかを調べていて、「紘子は良くない」と言ったからだ。

(月日がたった)ある日、人体への影響を調べていた先生と話す機会があり、「(広島で)子どもから集めたデータは、(原発事故があった)チェルノブイリの子どもたちのために送ったよ」と言われ、うれしかった。やっと山を一つ乗り越えることができたと思った。

大統領が広島に

2016年、アメリカのオバマ大統領が広島に来た。NHKから広島に行ってほしいと依頼があり、大統領のスピーチを聞いた。大統領は「いつか証言する被爆者の声は聞けなくなる日が来るでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を薄れさせてはなりません」と話した。被爆者もだんだん亡くなっている。次の時代の人に伝えなければと思っている。

さらに大統領は、「原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜなら、彼女は本当に憎いのは、戦争そのものだと分かっていたからです」と言った。彼はその女性の名前を言わなかったが、NHKの人は「あれは絶対、紘子さんのことだ」と言っていた。私は、彼が広島に来て、あの地に立ってもらえたことに感謝している。

次の時代に委ねる

次の時代は、あなたたち一人ひとりに委ねたい。戦争のない世界をつくれるよう、私の希望と願いを委ねたい。つらいこともあるかもしれないが、素晴らしい日は必ずやって来る。一つの道が駄目でも、もう一つの道がある。

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