心動いた被災地の”大合唱” 防災士のミュージシャン 歌詞にしのばせる「防災」 東日本大震災から12年

2023.03.11
地域

自作の歌を交えながら防災への意識を高めるポイントを伝える石田さん=兵庫県丹波篠山市網掛で

東日本大震災から、きょうで丸12年。兵庫県丹波篠山市の「丹波篠山防災会」の設立総会がこのほど行われ、総会後、防災士としても活動するミュージシャン、丹波篠山ふるさと大使の石田裕之さんが「防災士としてできること~得意分野で実践」と題して講演した。講演要旨は次の通り。

幼い頃、阪神淡路大震災を経験したが、防災と関わるきっかけにはならなかった。当時から「もうこんな大災害は起きないだろう」と思ってしまっていたからだ。

東日本大震災が、防災と関わる大きなきっかけになった。丹波篠山市社会福祉協議会が現地に派遣したボランティアの第1陣に参加し、「心が動く体験」があった。

発生から2カ月ほどたった5月に被災地の宮城県石巻市で活動。泥かきをして、みんなで何百袋も土のうを作ったが、家1軒も片付かない状態だった。私にはもう一つ、することがあった。避難所で歌うことだ。ただ、本番が近づくにつれ、ナーバスになった。「最初にどんな言葉をかければいい」「どんな歌を歌えばいい」「喜んでもらえるのか」―。自分には傷付いた人に寄り添う経験がなく、引き受けた後になって事の重大さに気付いた。

本番では会場に集まってくれた人たちに、そんな気持ちを正直にそのまま伝え、いろんな曲が収録された冊子を渡し、リクエストに応える形にした。最初に女の子が手を上げてくれて、リクエスト曲を一緒に歌った。すると、次第に会場の人たちと打ち解けていき、最後はみんなで肩を組んでの大合唱になった。

終わった後に高齢の女性が話し掛けてくれた。「ありがとね。避難所には芸能人も歌手もいっぱい来てくれたけど、一緒に歌わせてくれたのは、あなたが初めて。避難所にいたら声を上げて泣きたいときもあるし、歌いたいときもある。けど、みんなそれを我慢しているんだよ」

自然と「また来ます」と約束し、以降、月1回くらいのペースで通い、今も交流を続けている。女性の言葉を聞き、「ボランティアは自分がやりたいことをする場ではない。つながりをつくりながら、何を必要としているか、リクエストを聞く」を自身の指針にした。さまざまな事情で公助の支援から漏れた小さな声も聞いた。

東日本大震災から1年後、被災地の声を聞くと、発生直後と比べると、支援も手薄になってきているとのことだった。口々に言われていたのは「忘れないでほしい」。私は「忘れないで」には2つの意味があると思っている。一つは、被災地には今なお苦しい思いをしている人、前を向けない人がいること。もう一つは「次の災害への備え」だ。

南海トラフ地震の発生が心配されているが、一人ひとりが適切な避難行動を取れば、犠牲者を最少に食い止めることができる。一人ひとりの心掛けは大きな力になる。

防災への意識は人によって温度差がある。いかに伝えるかが重要だ。ポイントは「防災だけ、にしない」。いつもの催しの中に防災の要素を盛り込む、里山づくりと関連付けるなどの活動をしている団体もたくさんある。私は歌詞の中に防災のメッセージをしのばせた曲を作っている。

例えば災害時用のマンホールトイレが整備されている公園があっても使い方を誰も知らなければ意味がない。さび付いて機能しないかもしれない。防災資機材の点検の意味を含め、私はイベントなどで「一度使ってみよう」と呼び掛けるような活動もしている。

地域のつながりを大切にしていくことが防災力の向上につながる。防災も大事だが、顔の見える関係ができていれば、その人を守ろうという意識につながり、その一つひとつが防災に結びつく。

地域の中で「心に響く」活動をしてほしい。防災だけを伝えようとすると、内容が堅苦しくなり、参加者もいつものメンバーになりがちだ。どうすれば伝わるかを自分の強みで工夫し、楽しく地域づくりができれば「防災まちおこし」になる。

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