甲子園球場を造った男を顕彰 紙芝居で三崎省三紹介 郷里の有志「世界に目を向け挑戦を」

2025.02.25
丹波市地域地域歴史

自作した紙芝居「三崎省三物語」を紹介する吉住さん(左)と和田さん=兵庫県丹波市春日町黒井で

阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の建設を構想し、建設の立役者となった同県丹波市春日町黒井出身の三崎省三(1867―1929)を、幅広い世代に知ってもらおうと、地元春日町の有志が紙芝居を手作りし、町内で初演した。甲子園を目指した地元の氷上高校の球児が、絵を担当。紙芝居を通し顕彰活動を続け三崎同様に、世界に目を向け大きな夢を持って挑戦してほしいという願いを伝えていく。

紙芝居「三崎省三物語」は黒井の老人会、上ゲ町のじぎくクラブの企画制作。吉住孝信会長(76)が企画、会計の和田研一さん(76)が絵コンテと文を考え、野球部3年の2人が色鉛筆で絵を描いた。

大正13年(1924)8月1日、「阪神電車甲子園大運動場」の落成式で三崎専務があいさつする場面からスタート。アメリカへの憧れを抱く16歳の少年の姿、同社での数々の業績、19歳で渡ったアメリカで興味を持った野球ができるスタジアムを専務になって実現する場面、一昨年の阪神タイガースの優勝シーンまで全16枚で表現している。

初演の「上ゲ町ふれあい・いきいきサロン」で、和田さんが約20人の参加者に披露。吉住さんが「三崎さんのことを、地元の人が知らない。知ってもらいたいと思って紙芝居を作った」と説明。参加者からは「私らも知らんわ」の声が漏れ、広く認知された存在でないことが垣間見れた。

スタジアムの構想を練る紙芝居の一場面

和田さんは「子どもたちに伝えたい思いが発端」と言い、明智光秀を退けた武将、「丹波の赤鬼」こと赤井(荻野)悪右衛門直正のように、地元の老若男女誰もが知る存在にしたいと考えている。

昨年、甲子園球場が開場100周年を迎えたのに合わせ、「黒井城跡地域活性化委員会」が、丹波新聞社の荻野祐一会長を招き、講演会「甲子園球場を造った丹波人」を開催したのをきっかけに、顕彰の機運が高まった。紙芝居の文案も同講演会の内容を参考にしている。

【三崎省三(みさき・せいぞう)】 阪神電鉄の元専務。黒井で生まれ育った。19歳で渡米し、電気工学を学んだ。留学中に野球に出合い、帰国後入社した同社で何度もスタジアム建設を勧め、専務時代の1924年に、「ヤンキースタジアムに負けないくらい大きな野球場」の「阪神電車甲子園大運動場」を完成させた。

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