兵庫県丹波篠山市唯一のかやぶき職人、後藤榮勝さん(85)が、大口の仕事から退くことを決めた。米寿が近づく年齢に加えて、作業を手伝ってもらえる人手の不足、材料のかやの調達が難しくなっていることなどが理由。67年間にわたって職人の道を歩んできた後藤さんは、「仕方がないけれど、いざ辞めるとなると寂しい」と心情を吐露し、「この仕事のおかげで家を建て、家族を養ってこられた。お世話になった親方やお客さんのおかげ」と感謝する。修繕など小さな仕事は継続する。
かやぶき職人だった父の手伝いから始め、基礎をたたき込まれた後、市内の親方に付いて仕事に励んだ。60歳を過ぎてから独り立ち。周囲の職人が引退していく中、今では市内で唯一の存在になっていた。
2019年には「第62回建築士会全国大会」(公益社団法人・日本建築士会連合会主催)で、伝統的技能者として表彰された。また、仕事の少ない冬は酒蔵で蔵人として酒造りに取り組むなど、丹波の伝統的な生き方を体現してきた。
表彰以降も精力的に仕事を続け、丹波市山南町の慧日寺や姫路市の香寺民俗資料館、各地の古民家の屋根のふきかえを手がけてきたが、近年は人手不足や材料の調達も難しい状況で、「最後まで責任を持って仕事を終えられない」と引退を決めた。かやぶきの家が少なくなり、仕事自体も減っていることも大きな要因となった。
年末に担った、市内の民家の一部ふきかえを最後の大きな仕事にした。完成した屋根を前に、「何回見ても背筋がしゃんとするような気持ちになる。家の方も、『何や着物を着たみたい』と言ってくださった。かやぶきの家で煮炊きをし、かやの隙間から煙が上がって、家が〝息〟をしている光景は本当にきれい。日本の文化やなあと思う」と話す。
仕事だけでなく、村の付き合いも大切にしてきた。「人は運や努力だけでなく、信用も大事。仕事をしてお金が入ったら、少しだが村に恩返ししてきた」と振り返る。
職人人生の一つの区切りに「かやぶきがどんどんなくなっていることが寂しいけれど、時代の流れ」と言い、「大変なこと、つらいこともあったが、父も含めた10人の親方、一緒に作業をしてくれた仲間、応援してくれた家族、仕事を頼んでくれたお客さんに本当にお世話になった」と感謝。「これからも頼まれれば小さな仕事はやっていきたい。気力はまだまだありますさかい」と前を向いている。