昭和の時代、兵庫県西脇市にいながら、日米野球の架け橋となり、多大な功績を残した歯科医師、故・今里純さん(1928―2003)の評伝の出版を同市の有志が進めている。▽米大リーグのコミッショナーと文通▽阪神タイガースとデトロイトタイガースの提携に尽力▽独自に翻訳した「テッド・ウィリアムズの打撃論」を野村克也氏に提供し、氏の打撃開眼に貢献▽西脇市の自宅に吉田義男氏や村山実氏、鈴木啓示氏らが頻繁に訪れ、最新の大リーグ事情を収集していた―など、日米野球史の貴重な資料となりそうだ。米国取材費の一部をクラウドファウンディングで募っている。
8月上旬に全国発売を目指す「ベースボールと野球を繋いだ男~今里純 知らざれる戦後日米野球交流の物語~」(ヘソノオ・パブリッシング発行、270ページ程度を予定)。著者は、元中学体育教師で、単著もあるスポーツライターの竹本武志さん(75)。丹波地域の野球人と古くから交流があり、同県丹波市で開かれる「全国高校女子硬式野球選手権大会」でスコアラーを務めている。
今里氏が寄贈した資料が、先般、イチロー氏の米大リーグ殿堂入りが発表された際に注目されたクーパーズタウンの同博物館に所蔵されており、評伝出版に際し、現地で資料にあたり、関係者に取材する。
今里は英語が堪能で、大の野球好きだった。戦後間もなく、進駐軍の短波放送から流れる大リーグ中継に耳を澄ました。放送で聞き取りづらい部分を球団にエアメールで問い合わせるうちに、熱心なファンの存在が球団関係者に知られるようになった。1958年には米国の専門紙に取り上げられた。たびたび渡米し、コミッショナー、球団オーナーらとも文通するなど、米大リーグの中枢と深い人脈を築いた。一方で、日本球界の情報を米国に提供する窓口でもあった。
野村克也氏は、自著「運」で、今里氏の名前こそ挙げないものの、「西宮市の歯科医から本をもらった」と書いている。西宮市は、西脇市の誤りで、同書が「打撃論」と見られる。吉田義男氏のために、同じ体格の大リーガーが使っていたバット32本を船便で取り寄せプレゼント。この年、吉田氏は初めて打率3割を越え、阪神のリーグ優勝の打の立役者になった。
今里氏と米大リーグの関わりは、生前地元では全くと言っていいほど知られていなかった。2008年に当時の西脇市長が吉田義男氏の評伝記事に名前を見つけ、「地元の偉人」が一部で知られるように。12年に竹本さんらが顕彰委員会を立ち上げた。
今里氏は「記録魔」で、膨大な写真、手紙などのほか、サインボール、サインバットなど、遺した資料は約3000点に及ぶ。同書執筆にあたり、丹念に調べるなかで驚くべき事実が次々に明らかになっていった。
「江川事件」の際に日本プロ野球機構のコミッショナーが訪ねて来て、米大リーグはこういう時どう対処するのか、参考意見を求められたというエピソード、狩猟好きの山内一弘氏が今里邸を訪れ、氷上郡や多紀郡で猟をし、ある時獲物を屋内で食べていたジーン・バッキー投手が一酸化炭素中毒になりかかったといった私的交流まで、綿密な記録を残している。
竹本さんは「阪神ファンの歯医者さんとしか思っておらず、まさかと思った」と言い、「本書で初めて実像が多くの人の目に触れることは、今後の日米球界の発展につながる。日本プロ野球の歴史に新たな1ページを加えることになる」と話す。編集者で版元の越川誠司さん(62)は「米大リーグ事情が、東京より早く、西脇の今里氏の所に届いていた。西脇に残る資料に基づく取材、執筆はほぼ終わっている。現地で、今里氏が愛した米国野球文化の真髄を取材したい」と協力を呼びかけている。
寄付サイトは、書名で検索を。