兵庫県丹波市市島町の妙高山で生産され、江戸時代の元禄年間(1688―1704年)の終わりごろに廃れたとされる「妙高茶」を復活しようと、地元の同町鴨庄地区の地域づくりグループ「鴨の学校ブルーシートの会」(木寺章校長)がこのほど、今なお山中に茂る茶樹の新芽を摘み、さまざまな製法で茶を味わった。参加した19人は、かつて朝廷や比叡山延暦寺に献上されていた歴史が示すように、清らかで上品な味わいに感嘆。今後、妙高山の山頂付近にあり、“丹波比叡”として隆盛を誇った神池寺(荒樋榮晋住職)と連携し、妙高茶を地域おこしにつなげていく。
「鴨庄村誌」によると、「神池寺では早くより茶樹を栽培して良質の茶を生産し、毎年朝廷と本山延暦寺に献上していた」「元禄の終り頃から寺運の衰退と共に茶作りも少なくなった」とある。
妙高茶の詳しい歴史は判然としないが、荒樋住職(65)によると、妙高山には今なお青々とした茶樹が点在しているという。「茶樹は代替わりしているだろうが、もとは数百年前に植えられたもの」と話す。
同会が茶摘みをしたのは、同寺から尾根伝いに30分ほど歩いた場所。木立の中に開けた所があり、50平方メートルほどに複数の茶樹が植わっている。
新芽を摘んで下山し、生活介護事業所「ら・創作工房 KOKONI」(上牧)で、3つの製法で茶を味わった。新芽に直接、湯をかけて飲んだほか、新芽をもんで香りを出してから味わったり、フライパンで炒って茶にしたりした。木寺校長(78)は「昔の人も飲んでいたんだろうなあと思いながら味わった。献上されていただけのことはあると感じた」と笑顔。事務局長の高見忠寿さん(42)は、「透き通ったような味」と話す。
妙高茶の存在を知っていた木寺校長は、過去に有志を募って現地視察をしたが、次の展開に結びつけられていなかった。今年4月、地域の歴史を学んで活性化につなげる同会が立ち上がったことを機に、改めて妙高茶の活用を模索。同会に「神池寺委員会」を組織し、妙高茶の復活を試みることにした。
同委員会の三澤孝夫さん(63)は、「即席で飲んでも立派な茶と感じた。将来は名物にできれば」と話す。荒樋住職は「幸いにも神池寺にはお堂が複数残っている。座禅をして、妙高茶で歓談する、といったことが企画できれば」と話している。