およそ半世紀前に兵庫県の旧氷上郡(現丹波市)青垣町指定文化財に指定された時にすでに破損し、行方が分からなくなっていた、芦田氏の祖を祭ったと伝わる青垣町東芦田の石造「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」(丹波市指定文化財)の先端部分が、塔近くの山裾で見つかった。断面同士がぴたり合い、空白の時を経て元の姿に―とはいかず、失われた部分が他にあることが示唆された。欠けた状態で文化財に指定されており、市教育委員会は、見つかった部分の取り扱いを含め、塔全体を修復するかどうか検討する。
塔は、吼子尾山(くずおさん、519メートル)の裾野の急斜面にある。塔から東へ50メートルほどの自宅裏手で、竹やぶ化しつつあった荒れ地の整備をしていた大原安太郎さん(79)が見つけた。地元の歴史に関心があり、「折れた宝篋印塔の先端」とピンときた。
細工が施された石(長さ20センチ弱、太い所で直径約10センチ)が、横倒しで半分地表に露出していた。塔の先端の「相輪」と呼ばれる、数十センチある細長い部分。「宝珠」と呼ばれる「珠」が彫られた最先端を含んでいる。
地表露出部分は緑がかった色、埋もれていた部分は灰色。いつからそこにあったのか、ようとして知れない。
「氷上郡の文化財」(氷上郡教育委員会、1989年)によると、78年に町指定文化財。塔は凝灰岩。造立年代は「不詳」。形から「室町時代初期のものであると思われる」とする。「相輪」の一部が残っている。
連絡を受けた市教育委員会が現地を訪れ、見つかった相輪の断面を、塔に残るそれと合わせたところ、かみ合わなかった。見つかった相輪の径が、塔に残る相輪の径より細かった。ポッキリきれいに2つに折れたのでなく、長さは不明だが、両者の間に失われた部分があるようだ。
「うれしい。ごほうびをもらったよう」と大原さんは東芦田史に残る発見を喜びつつ、「もう一つ探すのか」と苦笑い。
塔と大原さん宅の位置から、地元の芦田姓の一人は「あの場所に自然に転がり落ちるとは考えにくい。シカかイノシシが蹴飛ばしたんだろうか」と不思議がる。
芦田氏は、信濃国を源流とする武士とされる。保元3年(1158)に芦田庄に配流された井上判官家光が「芦田」を名乗るようになったのが、青垣地域に多い、芦田氏の始まりとされる。芦田氏が青垣に来た時期は足立氏より早い。丹波足立の祖、足立遠政の佐治庄地頭職赴任は承元3年(1209)、承久3年(1221)説がある。