「なぜ人は泥んこになるのか」 新規就農の哲学博士「泥んこ哲学」提唱 京大→英国大学院→農の学校 「おじおじファーム」青山さん

2025.06.10
丹波市地域地域注目自然

「なぜ人は、泥んこになるのか」を考える「泥んこ哲学」を提唱し、実践する青山晋也さん。屋号は「大路のおじさん」の意=兵庫県丹波市春日町広瀬で

農業を通年で学ぶ兵庫県丹波市立農(みのり)の学校を今春卒業し、「丹波おじおじファーム」という脱力系の屋号で、同市春日町で新規就農した青山晋也さん(48)は、高校を中退し、さまざまな職を経て20歳代半ばで京都大学に進学し、英国の大学院で哲学博士号を取得した異色の農家。今のところ、最終学歴は「農の学校」だ。同校在学中に立てた問い「なぜ人は泥んこになるのか―」を考える「泥んこ哲学」を広めようと、自ら泥まみれになり実践。時に思索にいそしんでいる。

京都市出身。親の転勤で小学校高学年で都内に越した。中学、高校は公立。勉強は嫌いではなかったが、受験のために勉強するのがつまらなく、高校2年で中退。コンビニエンスストアや八百屋で働いた。

20代半ばで、たまたま書店で平積みにされていた中高生向けの哲学書「翔太と猫のインサイトの夏休み:哲学的諸問題へのいざない」(永井均著)を手にし、「こんなことを考えてもいいんだ」と目からうろこが落ちた。それまで哲学という学問の存在すら知らなかった。

大学で哲学が学べると知り、「哲学をやりたい」思いだけで進学を決意。「やるなら京大が面白い」と難易度を確認しないまま志望校を決め、26歳で大学入学資格検定を取得。29歳で京大に合格した。28歳の年は勉強に専念したが、それまでは介護、清掃の仕事をしながら勉強した。ずっと独学だ。

高校は1年の頃から休みがちで、中学の参考書を買って勉強をやり直した。「地頭が良かったんでしょ、と言われるけれど、全然。受験勉強は本当につらく、大変だった。一つずつの積み上げ。あれはいい訓練になった。あれで鍛えられ、農作業も頑張れている」

修士課程まで京大で過ごし、イギリス・ノッティンガム大学院で博士論文「存在し続けるとはどういうことなのか」をまとめ博士号を取得した。帰国後、京大で研究助手、京都市教育委員会の嘱託職員として働いた。

研究者から農業に転じたのにも、哲学が関係していた。哲学は歴史を重んじる学問。「哲学はいまだにソクラテスの考えを研究し、真実とは何かを論じる『生きている問い』。歴史学を学ぶ中で農業への興味が湧いた」

年齢を重ねるうちに「全てのものに歴史がある。巨樹や歴史的建造物があるこの空間に自分がいることが驚きで、自分も含め歴史の一部。歴史の外に自分がいるのではなく、自分も中で動いている」と歴史を近く感じ、改めて深く調べた。

地球の歴史からひも解き、農耕の歴史を調べるうちに、1万年ほど前から連綿と続く人の営みの一部の農業に関わりたい思いに駆られた。「自分が存在しなくなった後も農業は続く。末席に加わり、その一部分になれたら」。何の知識もないため、技術を身に付けようと、農の学校で1年間学んだ。

就農1年目は野菜栽培に挑戦する。ナスの苗の生育を見る。「氷上高校の苗が立派で」と感心している

「泥んこ哲学」は、「丹波の土は、水持ちが良い反面、水はけが悪く、野菜栽培に技術が必要な粘土質」という、同期との会話から思いついた。「自暴自棄でなく、泥んこになることを楽しむ人が案外多い。現代の中で少し外れていて、そこに面白みがあり、『問い』が立つ」

「なぜ人は泥んこになるのか」を考えるのが、「泥んこ哲学」の本質。「『泥んこ哲学』に賛同し、泥んこになり、自分の気持ちを受け止め、考えることが哲学。哲学者は一緒に考える。答えを教える人ではない」

「田舎の古い家には、泥んこになることを想定し、土間がある。土を落とし、家に入る。そういうことが失われた生活が都市部にある。昔の農耕の生活に心理的に回帰している、というのが一つの考え。都市部の人が、田植え体験で田舎に来るのは非日常。『きれいである』を破る心理的開放感。そういうものが複合的に合わさっている」と考えを巡らす。

哲学をしながら農業をしようとは考えていない。きっかけがあるときに考える。例えば、昨年6月から11月ごろまで収穫したオクラ。「ずっと関わり、育って枯れ、最終的に自分が刈り倒した。その存在に衝撃を受けた。生き死にを考えた」

研究者の頃は、論文を読み、自分の考えを付け加えることを半ば無理矢理やっていた。「今は論文にならないけれど、日々不思議に思っていること、普通の人は見過ごしてしまう面白い世界の現象を、時間があるときに考えている」

関連記事