能登半島地震で被害を受けた石川県七尾市にあり、兵庫県丹波市柏原町出身の鈴木淳子さん(42)=旧姓・下井=が暮らす妙圀寺にこのほど、郷里の同市社会福祉協議会と市民ボランティアの一行が訪れ、「音楽×縁日」と銘打ったイベントを開いた。大人も子どもも楽しめる内容に、地震以降、数多く開いてきた同寺のイベントの中でも最多となる約150人の地域住民が来場。能登の地に丹波弁が飛び交う空間が広がり、地震を機にしながらも丹波と石川をつなぐ温かな交流も広がった。記者も現地を訪れ、一部始終を見守った。
「遠い所、ありがとうございます」―。丹波市社協職員や市民ボランティアなど総勢17人の一行を、淳子さん、夫で住職の和憲さん(45)、長女の沙和さん(10)らが出迎えた。
「やっと来れた!」―。一行の中から、そんな声が聞こえたのには理由がある。
同市社協職員の山口裕子さん(45)は、淳子さんの姉。能登半島地震の発生直後から、職員らで同寺への見舞金を募ったり、応援のメッセージを送ったりするなどしてつながりを育んできた。
一方、これまでの活動では、復興支援の拠点となった七尾市災害ボランティアセンターに職員を派遣したほか、市民ボランティアを乗せたバスを運行し、七尾や半島北部の珠洲市で復旧支援に当たってきたが、最も身近に感じていた同寺には訪れる機会がなかった。
そんな中、「最も丹波との縁がある場所。いつか活動を行いたい」と考えていたのが、同市社協の田口勝彦会長や近藤紀子事務局長。淳子さんらと連絡を取りながら企画を練り、発災から1年半をへて、ゆかりのある地での活動が決まった。
境内に入った一行を本堂が迎える。一見、地震の被害を免れたかのように見えるが、柱や窓を見ると建物が右に傾いていることが分かる。建物の下には地割れが縦横に走るなどしており、「全壊」と判定されたことから、数年かけての工事が予定されている場所だ。
近藤局長は同寺の交流サイト(SNS)を見る中で、子どもたちの姿が多いことに着目。鈴木さんらは地震後、支援物資の配布や炊き出し、また、人々が集って交流する場として寺を開放したことから、大人だけでなく、沙和さんの同級生など子どもたちが頻繁に訪れる場になっていた。
「子どもたちも楽しめて元気になれるイベントにしよう」(近藤局長)
丹波だけでなく、最近は能登半島での交流事業でもおなじみのマエストロ足立(足立晃一郎さん、丹波市青垣町)による手作り楽器のコンサート、社協職員によるバルーンアートや輪投げ、ヨーヨーすくい、「生涯学習応援隊so―so.39」によるアロマハンドトリートメントや新井自治協議会のボランティアによる黒豆のポン菓子―。盛りだくさんの内容を用意しつつ、「どれほどの人が来てくれるやろか」と、誰もがドキドキしながら開演時刻を待った。
午前10時半、境内にはあふれんばかりの人、人、人―。子どもから高齢者まで多くの地域住民が集った。
オープニングはマエストロ。タンバリンと浮き輪で作った「浮くレレ」とじょうろで作った「ジョランペット」など、面白おかしい手作り楽器とさすがの演奏に、来場者は手をたたいて大笑い。地震の「じ」の字も感じさせない楽しい一日が始まった。
コンサート後、子どもたちは射的にバルーンアート、輪投げなど思い思いのブースを巡り、その一つひとつで大はしゃぎ。木製の魚釣りゲームでは、〝大物〟を上げるたびに「やったー!」と歓声を上げた。大人たちは元気に遊ぶ子どもたちに目を細めつつ、アロマハンドトリートメントなどで癒やしの時間を堪能する。
外では、「ボンッ」と大きな音を立てて特産の黒大豆を使ったポン菓子が出来上がり、市民ボランティアが参加者に配布。「おいしい!」「丹波の黒豆って高いんでしょう?」と会話も弾んだ。
参加した女性は、「子どもたちがとてもリラックスして楽しんでいて、大人も元気になれた。素敵なイベントでした」とほほ笑んだ。
丹波市山南町出身で、同じ七尾市に暮らしていることから、能登半島地震後、淳子さん一家と、「のと丹波人会」を結成した山口敦子さん(28)=旧姓・大地=も来場。長男、大智ちゃん(1)、長女、ひかりちゃん(0)と会場を巡り、「能登に来てこんなに丹波弁を聞いたことはない」と喜び、「これほどたくさんの人が集まるイベントは珍しい。丹波の力を感じる」と郷里の応援を誇らしげに語った。
境内には丹波市をPRするポスターを掲示したほか、菓子やちーたんグッズなど丹波からの土産もプレゼント。企業から提供のあった「しじみ汁」やティッシュペーパーも渡すおもてなしぶりで、七尾の人々の心にしっかりと「丹波」を刻んだ。
参加した「生涯学習応援隊so―so.39」の北村久美子さん(66)は、能登での活動は初めて。自身は阪神・淡路大震災で被災した経験を持ち、「七尾の方と話す中で、阪神淡路の話にもなり、自分の経験が役に立った」とにっこり。「癒やしの時間を喜んでもらえてうれしかった。今後も継続的に能登の応援に取り組んでいきたい」と手応えを感じていた。
大いに盛り上がったイベントの様子を感慨深げに眺めていたのが、淳子さんの父、下井富男さん(76)。準備のため、家族で前日から七尾入りしていた。
遠く能登の地で暮らす娘。ただでさえ心配なのに、地震で被災した。昨年の正月は、一家で1月2日に七尾を訪れる予定だったと言い、「地震が1日後ろだったら、全員被災していた」と明かす。
地震直後、すぐ娘の元に駆け付けたかったが、道路状況などを鑑み、はやる気持ちを抑えた。落ち着いてからは自家用車でおよそ5時間の道のりを何度も通っている。
地震から1年半が過ぎた今、娘が暮らす地に丹波の人々が集い、共に笑顔の輪を広げている。下井さんは、「もう感無量。こんなに関心を持ってもらって、本当にありがたい」と目を赤くした。
「お元気で」「また来るで」などとボランティアから声をかけられ、バスが見えなくなるまで手を振った淳子さんは、「生まれ育った丹波と、家族と人生を築いていく七尾。二つの大切なふるさとがこうしてつながり、本当にうれしい」と喜び、「これまで丹波からいろんな支援や励ましをもらった。中には直接、お寺に来ていただいた方や、寄付を頂いた方もある。丹波の皆さんに感謝しながら、寺の再建に向けて頑張っていきたい」と笑顔で話していた。