篠山層群を説明する前に篠山市や丹波市の山々をつくっている基盤について説明しなければならない。
かつては関東の秩父地方に分布する岩石に似ていることから、 秩父古生層という名で親しまれてきた。 そうして大陸周辺部で今から2億5千万年以前にあった浅い海に陸地の浸食によって運び込まれた土砂又は礫が堆積していった。 これを地向斜と呼んだ。 丹波の山々はこの頃に生まれて隆起した垂直的な考えのもとに解釈されてきたが。
1912年ドイツのウェゲナーによって提唱された大陸移動説が1950年のマントルの発見によって確証され、 1970年イギリスのダン・マツケンジーのプレート説から確定された。 それによると、 丹波の山地を形成している丹波帯や超丹波帯の山々は、 火山活動で噴出してできた海底火山や火山島、 その上に生じた珊瑚礁から成る石灰岩、 深海に堆積した放散虫の死骸からなるチャートなどの海源性の岩石が日本海溝や南海トラフでどんでん返しされたりしながら大陸周辺に付加されて日本列島の骨格が出き上った。
放散虫の死骸は5?積るのに1万年も要しているといわれる。 チャートの地層は丹波の代表的なもので多紀連山をはじめとし急峻な山容や崖を作っている。 また海底火山であった玄武岩質の熔岩は冷たい海水に冷却され凝固したとき球状が続き、 枕状熔岩 (ピローラバー) と呼ばれる。 篠山市の安口 (はだかす) にはこの見事なのが見られる。
電子顕微鏡の発達により化石も肉眼から顕微鏡へ、 さらに電子顕微鏡によって各個体の細胞の進化がますます解明されてきて、 地層の時代が特定できる様になってきた。
海源性の堆積岩をとりまく陸源性の頁 (けつ) 岩や砂岩に含まれる化石が中生代のものであることがわかり、 丹波帯の地層は中古生層と呼ばれることになった。 垂直的思考から水平的思考の説明に変わった。
(丹波自然友の会会員 荻野正裕)
約2億年前、古生代