戦時中に 「金属類特別回収」 により供出された、 丹波市山南町村森の瑠璃寺 (竹村義法住職) の殿鐘 (でんしょう) が、 70年の時を経て里帰りした。 鋳潰 (いつぶ) され、 戦争の道具に姿を変えたと思われていたのが、 実はすぐ近くの同町奥地区にあった火の見やぐらの半鐘として使われていたことも分かり、 同寺檀家らは 「なんとも不思議なご縁。 人の役にたっていたのだからうれしいこと」 と喜んでいる。
殿鐘は、 行事の際の合図などに使う。 里帰りした殿鐘 (高さ50センチ、 直径30センチ) は、 文政7年 (1824) に村上惣左衛門という人が同寺に寄進したという記録が表面に刻まれている。
昭和18年 (1943) 8月1日に、 釣鐘堂の大きな梵鐘と一緒に供出することになり、 当時の檀家や村の役員らが大小2つの鐘と一緒に写した記念写真が残ってる。 また、 当時の第9世佐藤嶝崖 (とうがい) 住職が、 戦後の同21年 (1946) になって、 供出された当時の様子を細かく記した文章もある。
檀家総代代表の深田和夫さん (83) によると、 当時は奥地区に小川村役場 (小川地域づくりセンター前、 現・みつみ学苑作業場) があり、 供出する金属類はいったん、 そこに集められたというが、 殿鐘が火の見やぐらの半鐘に使われることになったいきさつは分からず、 奥の火の見やぐらに吊るされていたのが同寺の物であるとは、 誰も気づかなかったという。
火の見やぐらが老朽化し、 取り壊された際、 殿鐘の表面に 「村森」 「瑠璃寺」 の文字を見つけた住民が同寺の檀家に連絡し、 このほど無事、 里帰りした。 奥の足立輝実自治会長 (63) は、 「うちの村が持っているより、 持ち主に返すことができて、 すっきりした」 と笑顔だった。
竹村住職 (64) は、 「第9世が写真や文章を残しているのは知っており、 できれば供出したくなかったようで、 よほどの思い入れがあったはず。 この歴史をみなさんに伝えることができれば」 と話す。
総代代表の深田さんは、 「みなにたたいてもらえるようにするなど、 この殿鐘を生かせるように檀家のみなさんと相談したい」 と話している。