県道丹波加美線 「小春ロード」 の開通を前に、 西小学校の畑義一校長 (58) が、 葛野生まれの故・森安小春の足跡を調べ、 小冊子 「『孝女 こはる』 を訪ねて」 (A4判13ページ) にまとめた。 取材成果を児童に披露し、 「孝女」 と呼ばれた小春のように、 「人を大事にする気持ちを持ってほしい」 と語りかけた。 小春が育った多可町の小学校では教材として使われていることから、 同校でも教材に使えないか考えている。
小春が養女に行った多可町加美区市原が、 小春にちなんで始めた村おこしが 「ちょっとてれくさい孝行のメッセージ」 の全国公募。 畑さんは、 同メッセージを集めた本を10年ほど前に読み、 小春の名前に覚えがあった。 西小学校に今春赴任して初めて、 葛野出身と知り、 トンネルで丹波市と多可町が結ばれる機会に、 両市町で生きた小春を取材することにした。
20年前に、 同校体育館に小春の偉業を伝える額を寄贈するなど、 小春の再評価活動を行ったASC商工青年部 (現・かどのASC) の元部員、 山口利和さん (氷上町三方) に話を聞いた。
足を運んだ市原では、 小春のために有志が費用を出し合って購入した 「孝行畠」 と小春の居宅の跡に整備された 「こはる公園」 で、 生前の小春を知る女性と知り合うことができた。
小春の母校、 杉原谷小学校では長年、 「孝行畠」 が教材として使われており、 最近、 新たに作った5年生向けの教材を見せてもらった。 生家から養女に行く際に、 小春が越えたであろう市町境の篠ケ峰にも登った。
冊子には、 小春の足跡とともに畑校長が撮った写真、 杉原谷小学校の学習教材などを掲載している。
畑校長は、 「親孝行という言葉は、 ともすれば時代遅れ的な感覚と捉えられることがあるかもしれないが、 親への感謝の気持ちを失ってはいけないと強く思うようになった」 と言い、 児童には、 「孝行」 の言葉を、 「人が喜ぶのを喜べる人になろう」 とかみ砕いて伝えた。 「森安小春さんを通して、 人を大事にする気持ちを持ってもらいたい」 と言い、 教材化を検討する。
森安小春 明治29年氷上町上新庄生まれ。 明治33年、 4歳で市原の森安家の養女となる。 幼い頃から家事をした。 明治41年、 養母が離婚し去り、 山仕事の父と2人に。 15歳の時、 父が仕事でけがをし、 足を切断。 父の看病、 日雇い労働、 戸主としての村づきあいなどをこなすうちに、 名が知られるようになった。 大正2年、 市原がある杉原谷村と多可郡教育委員会から表彰された。 大正2年、 3年に、 雑誌 「少女画報」 「婦人画報」 (ともに実業の日本社発行) で紹介され、 全国から激励の手紙が届く。 大正3年に出版社から全国の孝女・節婦三人の一人として表彰を受けた。 大正4年、 県知事特別表彰。 96歳で他界。