宝塚音楽学校に合格 タカラジェンヌへ一歩 青垣中出身・足立由結さん

2015.04.12
ニュース丹波市

レオタードに身を包みポーズをとる足立由結さん=兵庫県篠山市草野、 上月みのりバレエスクールで

未来のタカラジェンヌを養成する宝塚音楽学校に、 今春、 青垣中学校を卒業した足立由結 (ゆゆ) さん (15) =兵庫県丹波市青垣町大名草=が合格した。 定員40人に1063人が受験、 倍率26・6倍の難関を初挑戦で突破した。 足立さんは、 「幼い頃から目指してきたタカラジェンヌへの一歩。 あきらめずに続ければ夢はかなう。 丹波の星になります」 と、 間もなく始まる新生活を心待ちにしている。

母の文乃さん (45) の勧めで、 4歳で上月みのりさん (篠山市草野) が主宰するバレエスクールに入門。 それから半年後、 教室生のママ友に連れられて宝塚歌劇を観劇した文乃さんが宝塚の大ファンに。 足立さんも宝塚に憧れるようになり、 神楽保育園の卒園式で将来の夢を 「宝塚歌劇団に入ること」 と宣言した。

上月さんのスクールに週2、 3回通うのに加え、 小学校6年生の時に、 宝塚音楽学校が小学校4年生から中学生を対象に開いている 「宝塚コドモアテネ」 に入校。 毎週日曜に、 同校受験を目指す先輩や同級生にもまれながら声楽、 バレエ、 日本舞踊のレッスンに励んだ。 これとは別に声楽、 ダンスも習い、 中学2年の終わり頃からは週6日、 レッスン漬けの生活を過ごした。

9歳ごろから芸能プロダクションに所属し、 バラエティ番組、 テレビCMなどに出演。 青垣中学校1年生の時に 「バレエをがんばる人」 で、 AC (公共広告機構) の新聞広告にも登場した。

真剣に宝塚音楽学校受験に向き合ったのは中学2年生の終わり。 火曜を除く週6日、 レッスンに通った。 中学校では陸上部に所属し、 長距離に取り組んだ。 レッスンが忙しくなり、 放課後の部活動に出にくくなっても、 朝練は休まず参加した。

音楽学校の入試は3次試験まであった。 2次の歌唱試験では課題曲の歌い出しにつまずくなどのミスをした。 試験が終わり、 声楽の先生にミスを伝えたところ 「来年ね」 と言われ、 その夜はショックで眠れなかったという。 ところが、 結果は合格。 声楽の先生に連絡すると、 すぐ3次面接の練習に来るよう言われ、 元タカラジェンヌから指導を受けた。 「方言はそのままでいい。 あなたはそのままでいきなさい」 と言われ、 「私はいなか者。 いなか者のままでいこう」 と決めたという。

3次面接は1人ずつ。 どんな女優になりたいかの質問に 「ツンとしていない、 朗らかな女優」 などと答え、 願書の自己アピールにも書いた 「丹波の星になりたい」 という夢を訴えた。 面接官は、 「失笑と苦笑が入り混じった微妙な表情だった」 という。

運命の3月29日。 宝塚音楽学校は、 受験生や家族でごった返し、 足立さんたち家族はなかなか合格番号が書かれたボードにたどり着けずにいた。 足立さんより先に文乃さんが見つけ 「あった、 あった」 と大喜びで伝えてくれた。 他の合格者はほとんどが説明会に向けてすでに校舎の中へ。 一人屋外に残っていた足立さんにメディアの取材が殺到。 「頭が追い付かなかったし、 泣く時間もなかった」 とあわただしかった合格発表を振り返った。

「小学校でも中学校でも、 宝塚に行くと言っていたので、 変わり者扱いされていた」 と言い、 「ずっと続けていると応援してくれるようになった。 『すごい』 と女子は言ってくれ、 男子からは 『無理やろ』 と言われていた。 先生からは高校をどうするのかと言われたけれど、 宝塚に合格すればいいと思っていた」。

「お芝居が好き。 娘役として表現したい」。 最初に観た宝塚歌劇で最も好きな演目 「アーネスト・イン・ラブ」 の準主役、 シシリー役を演じてみたいという。

宝塚音楽学校の入学式は4月18日。 2年間の音楽学校生活が始まるのを前に、 「絶対に愚痴を言わず、 キープスマイルでがんばりたい」 ときっぱり。 「有名になり、 『あきらめたらアカンの代表』 のような存在になりたい。 それが、 丹波の星になることです」 と笑顔を弾けさせた。

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