丹波布復興の立役者でありながら、一般にその存在が忘れられている金子貫道氏について調べ、まとめた著作「丹波布復興の父 金子貫道」が神戸新聞総合出版センターから発行された。著者は兵庫県丹波市柏原町柏原の西楽寺、滝川秀行住職(68)。同市青垣町稲土の大燈寺住職だった金子氏は丹波布技術保存会の初代会長を務め、自ら丹波布を制作。時代のニーズに応じた丹波布を生み出そうと、妻と共に奮闘した。滝川住職は、「この本が、丹波布に関わる人の視野を広げるきっかけになればありがたい」と話している。
金子氏は明治29年(1896)、愛知県春日井市の生まれで、11歳の時、青垣町の高源寺に弟子入りした。昭和44年(1969)、死去。
昭和29年、有志8人と丹波布復興協会を設立。翌年、改名された丹波布技術保存会の初代会長に就任した。同32年、丹波布は文部省の無形文化財に指定されたが、金子氏は「安住してはならない」と釘をさした。指定を受けたことで丹波布は完全に復興したとする見方に異議を唱え、「『用に忠実なるもの』こそ正しい民芸。この自覚に乏しいものは早晩滅びる。用に忠実であるためには、絶えず創意工夫を怠ってはならない」と主張した。
金子氏は、34年に保存会会長を辞任、36年に退会。紡績糸や化学染料を使用しようとして保存会と対立したと言われているが、滝川住職はそのような事実はないと言及。技術保持者がみずからの生産機構を作らなければ丹波布は発展しないとする「生産機構の改善」についての提言が保存会に受け入れられず、排斥されたという。
同書の問い合わせは、滝川住職(TEL090・6205・8234)か丹波布技術保存会事務局(TEL0795・87・2608)。1852円(税別)。