炎天下の作業、吹き出す汗
母親(88)が暮らした家を片付ける女性(62)から依頼があった作業は、近くの墓地と家の周囲に入り込んだ泥の撤去。泥といっても水害後の日照りで乾燥していた。ひたすら地面にスコップを入れ、土のう袋に詰め込み、近くのトラックまで運んだ。
この日の倉敷市の最高気温は34・8度。少しの時間で汗が吹き出した。倉敷市災害ボランティアセンターによると、熱中症になるボランティアが出ていた。
そのため、班分けされたボランティアのグループには必ず一人、タイムキーパーを置き、15―20分置きに休憩を入れることを勧められた。当初、一行の中には、「その程度の時間ならすぐ休憩やな」と楽観視した声もあったが、実際に活動してみると、15分がかなり長い時間に感じられた。
乾燥した泥は少し崩すだけで粉のようになって舞い上がる。防塵マスクをしていなければ、すぐに喉がやられてしまいそうなほどだった。休憩時、汗で濡れたマスクを裏返すと泥の付いた手で触ったかのように汚れていた。
32人の市民ボランティアのうち半数は夏休み中の高校生。参加した3年の生徒は、「自分の目で見た景色は、テレビで見るのと全く違うし、復興することの大変さが身にしみてわかった。初めての災害ボランティアだったけれど、地元の人の『ありがとう』という言葉でがんばれる」と作業に励んだ。
墓地の泥出しは午前中に終え、午後からは家の周囲の泥出しに集中し、活動終了時間の午後2時ごろには大方の作業が完了した。後片付けをし、ボランティアセンターに引き上げる一行に、女性が感謝の言葉を告げ、続けて高校生たちに言った。
「私の家は火事になったこともあるし、今回の豪雨も経験しました。何か悩んだりすることがあったら、いつでも頼ってきてね。何でも相談に乗るから」
ボランティアセンターに戻るとたくさんのボランティアが活動を終えて戻ってきていた。この日のボランティアは計932人。全国各地から駆け付けた人たちだ。センターにはシャワーがあったり、お茶やスポーツドリンクの配布、さらにはかき氷の振る舞い、小物のお土産まであった。
センターが設置されるような災害が起きないに越したことはないのは言うまでもないが、ボランティア元年と言われた1995年の阪神・淡路大震災以降、東日本大震災や熊本地震などを経て、確実に蓄積されているボランティア受け入れのノウハウを見た気がした。
車窓に広がる景色を改めて眺めた。山があり、川が流れ、田畑と民家が広がる。特段、変わった地形でもない、地方ならどこにでもある光景だ。
「こんなことが起こるなんて、誰も思っても見なかったんです」
女性の言葉が耳の内側によみがえった。