地球から2億8000万キロ離れた位置にある小惑星「リュウグウ」を探査している探査機「はやぶさ2」から分離し、9月に世界で初めて小惑星の表面に着陸した小型移動探査ロボット「MINERVA(ミネルバ)―Ⅱ1」―。リュウグウの表面にゴツゴツとした無数の岩が存在している様子を撮影した画像や動画の撮影と送信にも成功したことで世界を驚かせた。このロボットの開発に参加したのが、兵庫県丹波市春日町野上野出身の足立忠司さん(69)=東京都=だ。宇宙史に残る快挙の達成には、「無事に到着してほっとした」と胸をなでおろしつつ、「ライフワークは月面車の開発。近い将来、実現できれば」と新たな夢を追いかけている。
足立さんは春日部小学校、明徳中学校、柏原高校を経て、京都大学理学部に進学。卒業後、当時、宇宙航空事業部があった日産自動車に就職した。
「特に宇宙分野がやりたかったわけではなかったけれど、幼いころ、丹波で降るような星空を見上げ、『あの星の向こう側はどうなっているのだろう』と考えていたのを覚えています」
同社ではロケットの制御システムの開発に携わったほか、1990年代初めからは、月面車の研究をスタート。自動走行技術の研究開発に長年関わった。
その後、月面車の開発を続けていた足立さんのもとに宇宙科学研究所(ISAS)から、初代はやぶさに搭載する移動探査ロボットの開発依頼が舞い込んだ。
ミッションは、「小惑星に降りて、写真を最低1枚は無事に送ること」。言葉にすれば単純だが、その開発は苦難の連続だった。
まず、ロケットに積み込むための「軽さ」と、ロケットの振動・衝撃などに耐えられる「丈夫さ」を両立させなければならない。しかし、軽くすればするほど丈夫さは失われ、丈夫にすればするほど重くなるという矛盾をはらんでいた。
さらには、太陽から届く熱や宇宙空間の放射線から、どのようにして探査ロボット内部の電子機器を守るか、電力を得る太陽電池をどれだけ、どのように配置するか。探査ロボット収納コンテナの開閉するふた一つをとっても、本番で開かなかったら全てが終わり。
また、探査ロボットを抱くはやぶさに、ロボットの熱が伝わらないようにすることなど“母子”は意外にもドライな関係だった。
費用と時間も限られ、数々の課題があったものの、ISASと日産自動車宇宙航空事業部(現・IHIエアロスペース社)が一丸となって知恵を絞りだし、気が遠くなるほどの実験を繰り返してようやく完成にこぎつけた。そうして出来上がったのが初代「MINERVA」だった。
2003年に打ち上げられたはやぶさは05年に小惑星イトカワとのランデブーに成功したものの、放出されたミネルバはイトカワにたどり着けなかった。
はやぶさから放出直後には、はやぶさ本体を撮影した画像を送信するなど、正常に動作したが、「小惑星に着陸した世界初の移動探査ロボット」という称号はおあずけに。
はやぶさはイトカワに着陸後、サンプル採集を試み、通信が途絶えるなど何度も“行方不明”になりながら、10年、60億キロにおよぶ劇的な旅を終え、地球に帰還。大気圏再突入で本体は燃え尽きたが、着陸したカプセル内からイトカワのサンプルが発見された。
一方の初代ミネルバは、今も宇宙空間で太陽の周囲を回っている。